top of page

第277回「命を懸けて追求するお菓子」

  • 7 時間前
  • 読了時間: 11分

こんにちは。柴田エイジングケア・美容クリニックの柴田です。朝晩はしのぎやすくなってきましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私はと言えば…最近京都のパティスリーにハマっています。きっかけは卓球部の後輩の学生が自分の下宿の近くに行列のできるケーキ屋さんがあると言って、そこのクッキーを私の誕生日プレゼントにくれた事です。最近時々京都の病院に勤めている整形の後輩のところに行く事があり、彼がケーキ好きなのでいつも神戸からケーキを持って行ってたんですが、運ぶのがちょっとしんどくなってきたので京都にそんな美味しいケーキ屋さんがあるなら、一度買ってみようかな…と検索してみました。すると学生が言っていたケーキ屋さんと食べログNo.2を争っているケーキ屋さんが3軒あり、他に一つだけダントツNo.1のところがあったんです。でもNo.1の「パティスリーT」は京都市内でも北部の不便な場所にあり、No.2を争っている3軒は大学の近くにあったのでまず大学の近くで買ってみるとその内2軒はかなり美味しかったので、これよりずっと美味しいケーキ屋さんってどんなんだろう?と気になっていました。



ちょっと遠いけど、やっぱり1回行ってみようと思って「パティスリーT」に電話をしてみると、年配の女性が「予約もできますよ」と親切に教えてくれたので「よし、来週行こう!」と決心した矢先に「パティスリーT」の閉店のお知らせがホームページに載ってしまったんです。途端に電話がつながらなくなり、つながったと思ったら「もうケーキは売り切れました」の連続。電話予約は13時半からですが13時半ぴったりにかけても2時間ほどは繋がらず、繋がったら売り切れなので、一度フライングをして30秒ほど前にかけてやっと繋がったんですが、開店は11時半ですが開店前に行列ができ、それまでに8 種類あるケーキは売り切れてしまって再度作り直すため、電話予約では2種類しか頼めないとの事でした。その上、1種類2個までしか買えないとの事。仕方ないのでとりあえず2個ずつ2種類を頼んで、はるばる京都市北部まで行って買ってきました。夕方に到着するとお店のショーケースはすっからかんで、シェフのお母様らしき女性がキャリーバッグを持った私を見て「まぁ、どちらから?」「神戸から来ました」と言うと、「まぁ、それはそれは…ありがとうございます!」何度か電話して行こうとした矢先に閉店のお知らせが出てなかなか買えなくなった話をすると「まぁそうだったんですか…ごめんなさいねぇ。神戸までもつように、しっかり保冷剤入れておきますわね。タクシーを待たせてらっしゃるの? 急いで入れますわね」帰りも「お気をつけてお帰りくださいね~」と見送ってくださって、とても優しいお母様でした。



持ち帰ってから辛口評論家の友人Mと一緒に試食してみると「うん…美味しい!!」いつも何かしら文句をつけるMまでが絶賛です。「絶妙なバランスが他のケーキと全然違う。シェフの才能が溢れてるねぇ…」シュークリームと「フランボワジエ」というフランボワーズが入ったムースをピスタチオの生地で挟んだケーキだったんですが、シュークリーム一つとってもナッツを散りばめたカリカリのシュー生地としつこくないクリームとのバランスが絶妙で、フランボワジエに至っては、なめらかなムースもピスタチオの香り高い生地も、他では味わえない美味しさです。これはちょっと、他の種類のケーキも買ってみたくなりました。しかしお店は週3日しか開いていない上(他の日は仕込みに充ててるんだとか)今となっては行列に並ばなくてはいけません。私は並ぶのが嫌いで、今まで何かを買うために並んだ事は一度もないんですが、いっちょ並んでみるか…と食いしん坊が勝ってしまい、電話で聞いてみると…「10時か10時半ぐらいから並んでいただければ全種類買えると思いますけど…」との事。意を決して試合の応援用の携帯折り畳み椅子を持参して朝から出発。10時半に到着するも、お店の前には既にかなりの行列が…。11時にシェフのお母様が番号札を配られるんですが、「まぁ、神戸の方?」と覚えていてくださったのは嬉しかったです。あいにくの小雨で(まぁカンカン照りよりはましですが)、傘をさしながら並ぶ事1時間。番号札は16番で、なんとか希望のケーキは買えましたが、私で売り切れ…という種類もありました。まぁ、なんで食いしん坊系になるとこんなに行動力が出るのか、私も不思議なんですが…皆さんだって「〇〇に日本一美味しいケーキがある…」と言われると、死ぬまでに一度は行こう…って思いますよね? 私は死ぬもう少し前に行っとこう…と思うだけなんですが、やっぱり美味しいケーキってそれだけ人の心を捉える何かがあるんですよねぇ。



でも私は日本一美味しいケーキ(西洋菓子)が食べられるのは神戸だと思っていました。有名なところだけでも、カール・ユーハイム、フロインドリーブ、ゴンチャロフ、モロゾフ…などなど舌を嚙みそうな外国人の名前がそのまま会社やお店の名前になっていて、大阪の友人に「神戸には〇〇とかあるでしょ? あれってね…」って、舌を噛まずにスラスラと店名が言えるのが自慢でもあったくらいです。こう言っちゃなんですが、田舎のお爺さんとかは絶対に覚えられそうにない名前をそのまま使ってるなんて、やっぱり「ハイカラ神戸」って感じですよね(^_^)。神戸は港町で古くから外国に向けて開港されていて西洋文化が入ってくる窓口になっていたのでハイカラになったっていうのは分かるのですが、だからと言って外国の菓子職人さんが移り住んできて成功する…って事の間には大きな隔たりがあるし、そんな単純な話じゃないよね…って気がします。 私が若かりし頃、神戸の西洋菓子と言えばユーハイムってイメージがありました。正直に言うとお世辞にも「凄く美味しい!!」って思ってた訳じゃないんですが、あの大きなバームクーヘンを物干し竿みたいなやつでグルグルと焼き込んでいる機械が、お店に展示されてますよね。あのビジュアルになぜか心惹かれたんですよねぇ。日本の和菓子って職人さんが手作業で小さなお菓子をせっせと作るって感じだったのに、ユーハイムはなんかどでかい機械を持って来てどーんと作っている感じがあって、「さすがドイツは違うねぇ…」って思ったものです。(勿論、その頃に遠い国であるドイツの実態がどんなだか知る由もなかったのですが、ベンツとかBMWとか高級車を作っている国のイメージと重なっていた気がします。人間のイメージって勝手に造成されてるんですね…。) そんな記憶もあって、ユーハイムがどうして神戸で成功したのかをネットで調べてみたんですが、調べていくとなんとなんと…驚きのドラマがあったんです。これはもう皆さんにシェアしなきゃ!って事で、少し長くなりますがざっくりとユーハイムの歴史を紹介します。



まず、ユーハイムさんって来たくて日本に来た訳じゃなくて、第一次世界大戦の時に中国の青島という当時のドイツ領にいたのですが、日本が青島を占領すると非戦闘員であったにも関わらず捕虜として捉えられて大阪の捕虜収容施設に入れられてしまったそうです。もういきなり出だしから気の毒なんですが、なんとその当時広島県物産陳列館でドイツ人捕虜たちが自分たちの技術を披露する「俘虜製作品展覧会」が開催されたそうな。戦争のない時代しか知らない私にとって「なんなん?それ? どんなイベント?」って感じですが、彼はそこで母国のバウムクーヘンを焼き、展示販売したそうです。そして広島市はこれを日本におけるバウムクーヘンの発祥としており、現在3月4日は「バウムクーヘンの日」としてるんだって。広島市君、乗っかり過ぎでしょ…(^_^)。ちなみに、その会場となった建物が現在の原爆ドームだそうで…歴史の因果って怖いですね。その後、終戦になって捕虜は解放されたのですが、彼は母国に戻る事なく日本に残り、妻子を日本へ呼び寄せて東京・銀座で製菓の仕事に就いたそうで、明治屋の製菓部主任になったんだとか。敵国の捕虜になっていたのにめげずにその国で出世するのも凄いけど、1922年、横浜・山下町に自分の店「E・ユーハイム」を開く事に。(Eは妻エリーゼに頭文字だそう)なんだ…ユーハイムって神戸発祥じゃないじゃん…って思ったんですが、その後はもっと凄いんです。



事業が順調に進んでいたのもつかの間、関東大震災で横浜のお店は全壊。ユーハイムは生活基盤をすべて失って横浜から避難船に乗り、神戸へ移ります。神戸へ来た彼は先行きが見えず、菓子職人を諦めかけていたのですが、そこで偶然出会ったのが当時世界的に有名だったロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワです。震災で店を失った事情を話すと、彼女から店を開く事を勧められ、それで神戸で再起するという映画のような展開です。再出発した店は人気店となりユーハイムは神戸の洋菓子文化を代表する存在の一つになりました…めでたしめでたし…じゃないんです…(^_^;)。それもつかの間、第二次世界大戦によって再び菓子作りが困難になり、ユーハイムは心身を病み、日本の敗戦の前日に六甲で亡くなります。そして戦後、妻エリーゼはドイツへ強制送還されてしまいます。ところがユーハイムの弟子だった職人たちがユーハイムの会社を神戸で再興し、「日本へ戻ってきてください」とエリーゼに手紙を送ります。そして、なんとエリーゼは60歳を過ぎて再来日し、社長に就任。その後も日本で平和に暮らしたそうです。その会社が現在神戸にあるユーハイムって訳です。



う…ん。なに!なに!そのドラマのような話は?? ってか、事実は明らかに小説より奇なりじゃないですか…。思えば私達って、本当に平和な時代に生きているんですね。ともすればそんな事は忘れてハイカラ神戸とか言っておちゃらけているのですが、このハイカラ神戸になるまでの間には一般のお菓子職人ですら戦争・災害・異文化という壁を乗り越えて必死に生きてきた結果なんだと思うと、なんだか胸が熱くなってきました。昔は誰もが激動の人生をいやでも送るしかなかったんでしょうね。最初に「お世辞にもバームクーヘンを美味しいと思わなかった」なんて言った事を、取り下げさせてもらいます…ごめんなさい…。でもやっぱりこれからも私は食べないかもしれないですが…(^_^;)。たかがお菓子、されどお菓子って事で、お菓子をいただく時にはそのお菓子を作った人の人生にも思いを巡らせていくべきなんだろうな…なんて思いました。



さて…最初に出たパティスリーTなんですが、長旅と行列に疲れ果てたけど、持ち帰ってワクワクしながら友人たちと試食すると…。まずはコントゥ・ドゥ・シャンパーニュという1年に1度のケーキ。白桃とシャンパンのムースとヘーゼルナッツのマカロン、オレンジの香りの見事な調和に感嘆! 次にコキーユ・ドゥ・ムラングというメレンゲに生クリームを絞ったお菓子。他のお店でもムラングシャンティという同じようなケーキはあるんですが、メレンゲの絶妙な焼き加減やアーモンド・生クリームの美味しさも、他店のムラングシャンティとは全く別物で、食べログ京都で断トツNo.1の理由がよく分かりました。他にも、フレシュール・デ・テというケーキはバラの香りとクリーム、ライチのハーモニーが新鮮な驚きで、モガドールというケーキはなめらかなチョコレートと香り高いオレンジの調和が素晴らしい!! どれをとっても外れどころか普通というものが一つもありません。「センスが全然違う! こんなヒットほんとに珍しいねぇ…」辛口のMも再び絶賛です。



伝統の京都はハイカラ神戸を超えているのか…なんだか悔しいけど、この美味しさを体験すると認めざるを得ません。じゃ、このお菓子を作ったシェフの人生も知らねばならないと思ってネットを確認してみました。シェフはデコレーションや色彩の感覚を磨くために始めた華道では師範代の資格も取ったらしい…。フランス菓子はシェフ自身の性格や味覚などのセンスをもって材料の質の違いをいかに意識しながら作れるかが大切らしく、試作も30回を超える事もあるんだとか。「毎日が真剣勝負ですよ。命を削って味を追求するんです。魂の切り売りです」との事…。「シェフのお母様もいい年のとり方だよね。『息子が引退させてくれないんですよ…』なんて言いながら?こんな全国に人気の息子がいたら嬉しいだろうねぇ」とか、「パティスリーT」談義に花が咲きました。



正直、シェフがどのような人生を送ってきたのかは分かりませんが、ただ「命を削って味を追求するんです」なんて堂々と言えます? やっぱりそれを口に出して言えるって事が何か違うものを感じます。誰かに「貴方は今の仕事を命を懸けて追求していますか?」って言われると、おいそれと「はい!」って言える人は少ないんじゃないでしょうか? 私だって恥ずかしながら「はい!」と即答できる自信はありません。でもやっぱり何かを真剣に追求するというのは、人の心を動かすものがあるんだなと思います。ユーハイムさんだって、文字通り命がけでバームクーヘンを日本に広めてくれたんでしょうね…。私もこの年になっても、まだまだ見習わないといけない事が沢山あるんだ…と思い知った次第です。 


相手が命を懸けているんだから、こっちは死ぬまでに食べてみないと失礼ですよね…(^_^;)って事を言い訳に、今日も美味しいところはないか…と性懲りもなくネット検索してるんですが、美味しいもの食べる時って幸せですよね。ホント…。私も何かちょっとでもいいから、人を幸せな気分にしてあげるお手伝いができれば本望です。これからもよろしくお願い致します!



bottom of page