こんにちは! 柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。地震の後は豪雨、その次は猛暑…と自然の厳しさが堪える今日この頃ですが、皆様は無事にお過ごしでしょうか? 被災された方には心よりお見舞い申し上げます。地震は神戸でも結構揺れましたよねぇ。震源地が実家の近くで、しばらく電話も通じなくなって心配しましたが、数時間後になんとか連絡が取れました。
阪神大震災を思い出した方も多いのではないでしょうか。阪神大震災の当日私は海外の学会から帰国したところで、タクシーに8時間乗って芦屋の自宅に到着。自宅に向かう途中あちこち土砂崩れで通行止めになっていたので、自宅が滅茶苦茶になってたら実家に帰ろうと思い、タクシーに待ってもらって自宅の様子を見に行くとマンションは半壊して傾き、ベッドの上には医学書の詰まった本棚が倒れていて、寝てたら死んでたかも?という状態だったので、身の回りの物を少しだけ持って実家に向かいました。当時私の勤務先は吹田の病院で、通勤路だった阪神高速は芦屋近くで真っ二つに折れてバスが宙吊りに。携帯電話は全く繋がらず、新聞の死亡者名簿に同姓同名の人が載っていて、職場では私は死んだと思われていたようです。夕方になってやっと病院に電話が通じた時に電話口に出てきた後輩は「先生、生きてたん~?!」って涙ちょちょぎれてました。実家は無事だったので、数週間は実家から病院に通い、休み毎に朝3時に車で芦屋に向かって(昼間は渋滞するため)自宅を片付けました。水道も止まってたので、水は大阪から持参。大変だったけど、たくさんの人に手伝ってもらって感謝感激でした。芦屋のマンションは分譲貸しで大家さんに買わないかと言われていて買おうかなと思ってたんですが、買わなくて良かった~。あれからもう20年以上経つんですねぇ…。時の経つのはあっという間です。

地震の2週間後に大学の同窓会があり、同級生の無事を確認して喜んでいたんですが、その翌日に悲しい知らせが。なんと同級生で卓球部の同期だったM君が亡くなったという訃報でした。同窓会の名簿には欠席者からのコメントが載っていて、M君の欄には「出席できず残念です」とあったので忙しいのかなと思ってたんですが、こんな事になるなんて…。3年前に卓球部の同級生が教授になった際のお祝いの会で、卒後初めて卓球部の同期が全員集まり「また同期会しようぜ!」と盛り上がったんですが、M君が一番乗り気だったのに…。その後当院でもいろいろ事件があって同期会はできずじまいだったのですが、その1年後くらいからM君が体調を崩して入退院を繰り返していたというのを知って、すぐに同期会をすれば良かったと悔やむ事しきり。2年半前に若くして亡くなった整形外科の後輩と言い、忙しいあまりの「医者の不養生」ですよね。M君は特に真面目でおとなしい性格だったので、仕事のストレスに勝てなかった面もあったようだと同級生に聞いて、私の図太さを分けてあげたかったと思いました…。
お通夜に駆けつけるとたくさんの友人が参列しており、まだ若いお嬢さんがずっと泣いていて、参列者の涙を誘っていました。そしてお通夜の最後にはスクリーンに故人の写真をナレーション入りで流す場面がありました。M君が医師になった頃の写真から、結婚式や3人のお嬢さんたちとあちこち旅行に行って撮った写真などが次々スクリーンに写し出され、M君が本当に優しいパパだったんだなぁと偲ばれました…。故人が死をもって生の大切さを教えてくれたのだというナレーションも流れ、なんだかお通夜という感じではなくどちらかと言えば結婚式の際に流れるスライドショーような演出です。本人が望んでそれを手配していたのか業者さんの計らいなのか、はたまた残されたご家族の意思なのかは分かりませんが、最近はお通夜も変わったもんだなぁと感心しました。
このようなスライドショーを作成するのって、急に事故で亡くなった…というようなケースは時間的に無理だと思うので、恐らく生前から何らかの準備をしていないとできませんよね。だとしたら本人も死期を理解していて(癌などで本人に余命告知をするかしないかはご家族の意思が強く反映されますが、一般的に本人が医者の場合はよほどの事がない限り本人に告知されます。まぁ…仮にされなくても分かってしまいますしね…)色々な事を準備したんじゃないかな…って思ったのですが、病と闘いながら彼が頑張っている姿を想像すると、益々哀愁を感じてしまいます。

「憎まれっ子世にはばかる」という類の事を過去のクリニック通信でも何度か書きましたが、医者の世界で言えばこの言葉は確実に当てはまりますね。仕事ができて人格の良い人からこの世を去っているようにしか思えないのです。(かく言う私は完全に憎まれっ子であるという証明になってしまうのですが…。)
ただ、もう少し正確に言うと「憎まれっ子世にはばかる」の「世にはばかる」というのは「でかい顔をする」とか「我が物顔でいる」あるいは「世の中で幅をきかせる」という意味なので、必ずしも長生きするという意味ではありません。この言葉だけで考えれば、憎まれっ子は世にはばかるのは当然の事で「でかい顔をして他人の事をあまり考えず、我が物顔で生きているような人」が憎まれっ子であるのは当然ですよね。ただ、もしそんな「我が物顔」の困ったちゃんでも早死にすれば世間の人も「ああいう人だったけど根は悪くなかったんだよねぇ。まぁ早い往生で本人も納得しているさ…」ってな具合で死んでまで悪くは言われないと思います。人生っていい事もあれば悪い事もあってプラス・マイナスすれば人間は皆平等…って思えるから生きていけるところがありますもんね。しかし現実にはそうはいきません。相当問題のある「憎まれっ子」とかに限って長生きして、死ぬ間際まで人にさんざん迷惑をかけて最後の最後は仏さんのようにぽっくりと平和に亡くなる…という話はよく聞きます。

そうなると人間の頼みの綱である「平等感」っていうのに疑問符がついてしまうんですよ。さぁ…そうなると大変です。世の中に「平等感」っていうのが失われてしまうと人間の心が荒廃して、下手すると革命思考の人が増えてしまいます。(そこまで言うか! と言われるかもしれませんが、世の中の暴動って不平等への不満が大半じゃないでしょうか?)そのままでは暴動が起きてしまいますので、平和な世の中にする為にお坊さん達はこの疑問にきちんと答えを出してあげなければなりません。やがてお坊さん達はとっても納得のいく説明をしてくれるようになりました。それは「憎まれっ子は現在の世においてはあんな生き方をしているが、死んだら地獄に行く事になる。一方で良い生き方をした人は、たとえ早死にしてもその分早く天国に行く事ができる」って事ですね。うん!そうか、これなら平等ですね。この世でプラスでもあの世でマイナスならプラス+マイナス=ゼロです。これでめでたしめでたし。ただごく一部、私のようにそれでも何か納得感に欠けるように思う天の邪鬼以外には…。

私もこれまで色々なアンチエイジングに関する学会などに行って研究発表を聞いてきましたが、医学界では「天国と地獄」の概念を持ち出すまでもなく、「憎まれっ子世にはばかる」について明確な回答を用意してくれています。まず人間が死ぬような病気になる場合の原因は大きく分けて二つあります。一つは遺伝的な疾患。残念ながら遺伝(必ずしも両親とか家系に問題があるという意味ではなく、たまたま本人が持っている遺伝子の組み合わせ)的に病気になりやすいという人が明確に存在します。事故や自殺以外で若くして亡くなるような病気になるケースの多くは遺伝子としてそのような組み合わせであったという事であり、憎まれっ子かそうでないかはほぼ関係ありません。若くして亡くなるケースは暴走バイクや喧嘩などで「憎まれっ子」が早死するケースも結構あるのです。…という事で不平等感が出てくるのは「社会で一定の功績を残す年代」になってからの死であると思います。
ところで、皆さんは平均寿命と平均余命の違いをご存知ですか? 平均寿命は赤ちゃんからお年寄りまで全人口を対象にした平均の寿命です。よってそこには残念ながら若くして亡くなる遺伝的な疾患を持った人も、出産直後に亡くなる赤ちゃんもすべて計算対象に含まれています。一方である程度の年齢まで生きると、遺伝的に早死にする人達が対象から外れていきます。そして一定の年齢になった時にあと何年生きる事ができるか…と統計的に予測したのが平均余命です。統計の算出方法は複雑なので割愛しますが、すでに50歳まで生き延びた人が平均寿命まで生き残る確率と、今生まれたばかりの人が平均寿命まで生きる確率は全く違うという事です。

現代の日本では平均寿命は女性が86.41歳、男性が79.94歳です。では半数の人が平均寿命まで生きるのかと言うとそうではありません。生まれたばかりの赤ちゃんが平均寿命まで生きる可能性は37%しかないのです。一方ですでに50歳まで生きた人が平均寿命まで生きる可能性は61%以上あります。このクリニック通信の読者の皆様には若い方もいらっしゃいますが、当院の患者様は大半が40歳以上なので、半分以上の人が平均寿命まで生きるって事になります。つまり50歳くらいまで生きたという事そのものが「ある程度長生きできる遺伝子を持っている」という証明がされている事になります。
つまりM君のように「惜しまれて亡くなる」というのは下記のような事だと思います。
1.50歳くらいまでは生きて世の中で一定の功績を残している
2.平均寿命まで生きる可能性が60%以上ある(遺伝子的な問題はない)にも関わらず 亡くなってしまう。
(なんだか理屈っぽくなってきたなぁ…すいません。もう少し我慢してくださいね。)

遺伝子的には長生きできるのに、なぜ早死にしてしまうのか? 医学的に明確なのは、一定年齢以上の死因の多くは生活習慣病であるという事です。そして生活習慣病の原因の多くは生活の中にある「ストレス」と密接な関係がある事も多くの研究者が発表しているところです。これらをまとめると「50歳くらいまで生きて世の中に一定の貢献をできるような性格の人は『努力と我慢そして頑張り』によって功績を成し遂げる人達が多く存在し、そのような人はストレスで生活習慣病を引き起こしてしまう事が多い」と言えます。逆に世の中に認められる功績を出す人でも「天才型」の人は独自の発想と独自の世界観の中で生きている人が多く、人間関係などのストレスが少ない為長生き型の人が結構いますね。一方で「憎まれっ子」は説明の必要もないでしょうけど、まぁ一般的にはストレスで参ってしまうようなタイプではありませんね…(^_^)。
つまり世の中に一定の貢献をしている人が若くして亡くなってしまうのは天国に行ってプラスマイナスゼロになるってわけじゃなくて、真面目にすべてを受け止めていたらストレスによる生活習慣病を引き起こしてしまう…って事なんです。自分自身のストレスは自分自身でコントロールできるようにきちんとストレスマネジメントをしましょう…という警告だと受け取る方が現実的だと思うのです。

M君のお通夜の後、自分でもなんとも言えない気持ちになって一人でワインを飲んで色々と考え事をしていたのですが、どうしても彼の人柄がよく表れた元気な日々のスライドとその前でずっと泣きじゃくっているお嬢さん達の姿が頭から離れず、時間ばかりが過ぎてしまい気づけば明け方になってしまいました。彼は私に重要な三つのメッセージを残してくれたと思います。一つ目は生活習慣病に対する早期発見と早期治療が必要な事を改めて警告してくれた事。二つ目は普段からのストレスコントロールの重要性を考えさせられた事。そして最後はちょっと逆説的なんですが、私達は思っている以上に長生きするんだという事を認識させられた事です。私は来年で60歳になるんですが、60歳の女性が平均寿命である86歳まで生きる確率は65.8%もあるのです。「私なんかぽっくり死ぬから大丈夫」とか「そんなに長くまで生きないから」なんて言う人がいますが、そのような方は拝見するに(とても失礼ながら)「ストレスなさそう」もしくは「ストレスをストレスと感じない」ような方が多いので(こんな事言ったら刺されるな…(^_^;)私を含めてそんな人は確実に平均寿命までは生きそうです。だとしたら、「年をとってもきちんと美しく生きる」という事は益々重要だし、今から意識して準備をしないといけないと思います。
今回の通信はなんだかちょっと暗い話題だったのですが、絶対に直視しないといけない問題だし、久しぶりに考えさせられた話だったのであえて書いてみました。私自身もこれから皆様のアンチエイジングの為に貢献できる活動は死ぬまで続けていくつもりですが、一方で私自身の人生についても、これから年をとっていく事に向けて準備をしていくつもりです。皆様と一緒に「美しい年のとり方」を実践できれば幸いです。
