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第90回 (2010年09月)「戒名不要」



こんにちは! 柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。厳しい暑さが続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか? 今年は異常な暑さにバテて、点滴に来られる方が大勢おられました。まだまだ暑さが続きそうですので、皆様夏バテしないようにお気を付けくださいね。 私もこの夏は、7月のPRPモニター試験のバタバタに続いて、研究会での講演を急に依頼されて大忙しでしたが、プラセンタを打ちまくってなんとか乗り切りました・・・。

8月には東京で美容皮膚科学会があり、同時にPRPのACR研究会があって、その研究会での講演を依頼されたのです。美容皮膚科学会と言えば毎年暑い時期に開催され、いつも神戸の花火大会と重なって大好きな花火が見られないので残念なのですが、医者だけでなく企業などのいろいろな研究者の人達と交流できる有意義な学会です。今回のモニター試験でシワやたるみの測定機器をお借りしてお世話になっている製薬会社のOさんと知り合ったのも、去年新潟であった美容皮膚科学会でした。そうそう、あの時は○Kタクシーのおかげで飛行機に乗り遅れそうになって大変だったんだ・・・。あれからもう1年かあ・・・時の経つのは早いなあ。



・・・と感慨にふけっている暇もなく・・・ACR研究会での講演を依頼されたのはなんと研究会の1週間前。会長のK先生から、今回のPRPのモニター試験で何か結果が出たら講演して欲しいとは以前言われていたのですが、その時は結果が出なければ講演しなくてもいいという話だったし、7月末にモニター試験が一段落したところでまだきちんとした結果が出せていなかったので今回は講演は見合わせようと思っていたのですが、1週間前になってK先生からやはりできれば講演してほしいと・・・。うむむ、1週間でまとめられるかな・・・。と思ったのですが、講演するかしないかの決定は直前でもいいとの事だったので、やれるところまでやってみる事にしました。


さあ、それからが大変です。膨大なデータや写真を整理して、それから法則をみいだし、なんとかまとめなくてはいけません。しかもモニター試験の結果が予想と反する人が何人かいたので、よけい大変に・・・。結局研究会の直前に予想通りの結果が出て、やっと講演内容をまとめる事ができたのですがいつも以上にぎりぎりで、学会に向かう新幹線の中で原稿を作る羽目に。楽しみにしていた東京グルメもレストランにノートパソコンを持ち込んで打合せしながらだったので、食べた気がしませんでした。結果的には無事講演を終える事ができてやれやれでしたが、1週間はほとんど寝ずの生活でした・・・。



しかし今回のモニター試験は大変でしたが、ちょっと楽しい人達と仲良くなる事ができました。シワやたるみの測定機器を貸してくださった製薬会社のOさんとその部下、AさんとK君です。Oさんは学会でシワの計測機器の事を少し聞いただけで、機器のメーカーを紹介してくださったり会社の機器を借りられるように手配してくださっただけでなく、モニター探しや学会までのスケジュールなどをまるで自分の研究のようにを心配してくださったり、うまくデータが出ない時などは一緒に悩んでくださったり・・・という、ものすごくいい人です。AさんとK君はOさんと同じ研究室の人達で、3人とも今回のPRPのモニターにもなってくれています。Aさんは可愛い女の子ですが、クマを気にしているということでOさんにモニターとして紹介され、K君はOさんと一緒に測定機器を搬入してくれた時に、私がクマをみつけてモニターとしてスカウトしたのです。3人ともとてもいい人で、3人はすごく仲がいいのですが、Aさんは結構しっかりしてて、Oさんの部下でありながらOさんの面倒を見ているような部分もあります。実はOさんはちょっと抜けてるところがあるのです。モニター試験が始まった頃、Oさんが「Aが注入の日が都合が悪くなったので、変えて欲しいと言ってるんですが・・・」と言うのでAさんに電話したら、「え? そんな事言ってませんけど?」


その時はたまたまかな?と思ったんですが、その後Oさんの勘違いが続出。機器の搬入の日やモニター試験の診察の日を間違えたり、計測に必要な部品を忘れてAさんが届けにきてくれたり・・・。機器搬出の日時を間違えてて、待てど暮らせど来なかった事も。先日の学会直後にも測定機器のある部品が必要になり、Oさんも学会に行くので学会会場で落ち合って部品を受け取る事になったのですが、会場でOさんに会ったら肝心の部品を持ってくるのを忘れたと・・・。その話をAさんにすると、「やっぱり・・・そんな約束して忘れるんちゃうかなーって思ってたんですよー。Oさんって抜けてるんですよねー。大事な事は私かコスモ君に言ってください!」


コスモ君というのはOさんの部下K君の事ですが、それがあだ名ではなく本名なんです! なんと、「宇宙」と書いて「コスモ」。初めて聞いた時は驚きました。Oさんや会社の先輩達は「宇宙(うちゅう)」と呼んでいます。そんな名前の人、ほんまにいるんや。親御さんも大胆な名前付けたよね・・・と、一時話題になりました。彼はかなりのイケメンで、神戸大学大学院卒の才色兼備(?)なんでいいけど、名前負けしてたら子供の頃なんかいじめられてたんちゃう?という声も。ご両親は「宇宙を股にかけるほど大きく成長するように」という願いを込めて名前を付けられたのかな?と思い、名前の付け方というものにちょっと興味を持ってしまいました。



名前の付け方を少し調べてみると、画数などで縁起を見る方法もあるようですが、漢字の持つ意味に親の願いを託す事が多いようです。時代によって人気のある名前も変遷し、出生当時の社会情勢が子供の名前に反映される事も多く、昭和10年代では戦時体制下を反映して男子の名前に「勝」「勇」などの名が上位に見られたが、戦後昭和21年以降になると「勝」は上位10位から姿を消したそうな。女子の名前も昭和初期から30年代まではほとんど「子」が付いていたのに対し、昭和50年以降では「子」離れが定着して「美」が付く名前が多くなり、平成になると「陽菜」「美咲」「さくら」などが人気で「子」の付く名前は探さないとないくらい。


自分の名前のランキングを見るサイトとかいうのもあったので見てみると、「節子」なんていう名前は時代が進むとどんどんランキングが下がっていきます。そう言えば「節子」というのは私の母親の世代に多い名前で、子供の頃は当時でも古臭かったのでいやだった記憶があります。父に「なんで『節子』って名前付けたん?」と聞いてみると、「昔は『節』というのは紀元節(神武天皇即位日の祝日)、天長節(天皇誕生日)などの祝日を表す字で、めでたいという意味があったから、めでたく成功するようにと思って」とのこと。



久しぶりに父と話すと、昔のいろいろな話をしてくれました。ちなみに私の父の名前も変わっていて、「弥治右衛門」と書いて「やじえもん」と読みます(「右」は黙字。黙字があるだけでも結構変わってますよねぇ)。これは当時戸主であった父の祖父が付けた家の名前だったそうです。父は福井県の出身で、小さい頃に両親と一緒に大阪に出てきたらしいのですが、出身地の田舎では「柴田」一族でも家によって「やえもん」「やさぶろう」などの名前が付いていて、家の名前を長男が継ぐという風習があったようです。そして家によって戒名のランクが違っていたそうな。 戒名というのは仏教徒が死んだ時に付ける名前ですね。多くは寺の僧侶が付け、葬儀の時に葬儀代の他に「戒名代」というものを寺に払わなければならないそうで、滋賀県の田舎に住む父の友人なんかは戒名代を180万円も払ったそうです。ひょんな事で父親と「戒名」の話になったので、ついでにこんな話も・・・。



皆さんは、白洲次郎って知ってます? 父曰く、第二次世界大戦直後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)支配下の日本で吉田茂首相の側近としてGHQと渡り合い、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた人で、彼の遺言が「葬式無用 戒名不要」だったそうです。(実は、父は結構歴史マニアだったりする・・・) 白洲次郎は明治35年、芦屋の貿易商の裕福な家庭に生まれ、旧制第一神戸中学卒後ケンブリッジ大学に留学し、帰国後実業家として活躍した後、昭和20年に吉田茂の懇請で終戦連絡中央事務局の参与に就任。イギリス仕込みの英語で主張すべきところは頑強に主張し、昭和天皇からの贈り物をぞんざいに扱ったGHQ最高司令官マッカーサーを怒鳴りつけた男として有名らしい。その後貿易庁長官に就任して通産省を設立、サンフランシスコ講和会議顧問、外務省顧問を務め、吉田茂退陣後は政界を離れて実業界に戻り、東北電力・日本テレビ・ウォーバーグ証券などの会長や役員を歴任し、80歳までポルシェを乗り回してゴルフもしていたそうな。(ちなみに私の父も86歳でまだゴルフをしています・・・関係ないけど。)当時「戒名不要」なんて言う人はいなかったでしょうから、形にとらわれず本質を見極める事のできる新進気鋭の人だったんでしょうね。現代の社会というのは、こういう既成概念にとらわれない、先進的な人が切り開いた道の恩恵を受けているのだと思います。新しいものを取り入れるというのは難しい事ですが、そういうフロンティアスピリットがなければ時代の進歩はないと思うのです。



そう言えば先月、旬のボトックスを始めるにあたっていろいろなボツリヌス毒素製剤を取り寄せたり調べたりしましたが、意外と中国製のBTXAという製品が良かったという事がありました。世間では中国製というと評判が悪いですが、調べてみると中国製だからダメだとは限らないようです。中国政府から正式に認可されたボツリヌス毒素製剤はBTXAのみで、他の中国製品はGMP施設もないところで作っているものもあるらしいので、もちろん中国製は要注意のものもあるのですが、BTXAに関しては1997年に中国で、2002年に韓国・ブラジルで正式に認可され、すでに10年以上の使用経験があって現在25カ国で販売されており、昨年600人を対象とする臨床試験が行われたが副作用の頻度も低く、症状も軽度だったという情報が確かな筋から入っているので、問題はなさそうです。アラガン社のボトックスや韓国製でボトックスをそっくり真似たほぼ同じ成分のニューロノックスという製品は、薬剤の安定化のためにヒト血清アルブミン(人の血液から取った蛋白質)を使用しています(ボトックスビスタの会社によると、アルブミンに関しては生物製剤としての同意書を取らなくても良いレベルの量らしい)が、BTXAは安定化のためにはブタのゼラチンを使用しています。それもBSEフリーの証書もあるので、 この点だけで言えば中国製の方がリスクは少ないと言う人もいるかもしれません。そして実際に使ってみると、BTXAの方がボトックスやニューロノックスよりも効きが良いのです。そういう事もあるので、私も風潮に惑わされず信念を持って、常に新しい事に挑戦し、形より実を取る治療を行っていこうと考えています。



中国と言えば最近、中国に日本の美容医療を広めるためのコラボレーションを依頼されているのですが、初めて美容医療を受ける人達にも喜びを感じて欲しいと思うので、依頼を受けるつもりでいます。同時に日本でも、以前から地方都市に住まれている皆様より、「美容に関する講演の後に治療のデモを行って欲しい・・・」というご要望をいただいておりました。確かに美容クリニックは大都市に集中しており、地方都市に行くと美容クリニックそのものがない・・・というようなところもあるようです。せっかく苦労して開発した効果の高いPRP等を全国の皆様に知っていただくべく、今後は地方都市への出張治療も考えていきたいと思っています。コスモ君のように「宇宙」を股にかけるほどはできませんが、全国を股にかけて少しでも多くの方に喜んでいただけるように頑張りたいと思いますので、皆様応援してくださいね!


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