こんにちは! 柴田エイジングケア・美容クリニックの柴田です。寒い日が続きますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。年末年始はどうされていましたか? 私はと言えば…毎年のように年末はクリニックの忙しさの合間に年賀状の手配に追われていました。
クリニックを移転してから年賀状のデザインはホームページを制作してくれた会社に頼んでいるんですが、会社がエストニアにあって社長はウクライナにいるので、時差が6時間あります。…と言ってもこの社長さんはウクライナに住んでいる日本人の方でして、当方のホームページをリニューアルする時にランサーズというWEBサイトでお仕事を公募したところ、こちらの方が応募してくださった時からの縁です。まぁ、今ではインターネットのお蔭でそのような世界の裏側にいる人ともお仕事ができるようになりましたが、これもよく考えると凄い事ですよね。私が子供の頃にはSFの世界でしかそんな話はできなかったと思うのですが、今は普通に行われているのですから、時代は変遷するもんです。

さて、昨年末は忙しすぎてデザインを頼むのが遅くなり、印刷会社に急かされてデザインも急にお願いしたので、夜中や朝方に制作会社から連絡が来て、寝る暇もありませんでした。そして年始も、年賀状のチェックに結構時間を取られます。出していない人から来たら返事を書かないといけないし、返事は手書きになるので印刷より時間かかるし…。前回返事も来なかった人をリストから抜いたら今年は来てたりするので「もう出したり出さんかったりするのやめて欲しいわ!」と愚痴りながら…(相手も同じような事思ってるんでしょうけど)。「もう年賀状やめたい~」と友人Mに愚痴ると、「え! まだ年賀状印刷して送ってるの? そんな前時代的な…。こんなにメールやSNSが発達した時代に、紙ベースの年賀状なんて意味ないよ。いくらいいデザイン作っても拡散もしないし…。大体、エストニアの会社にデザインを発注するところまでは令和の時代だね…と思ってたのに、受け取ったデザインをお年玉付年賀状に印刷して送る…という昭和感が凄いギャップだねぇ。昭和と令和の架け橋だな…」とまた嫌味たっぷりな自論を展開されました。実は10年程前にMの勧めで年賀状をメールだけにしようと試みたんですが、先輩や後輩・知人・友人で文面を変えたり、個別に出したりするのが面倒になって、結局葉書に戻ってしまったんです。葉書だと印刷してしまえば送るだけだし、メールアドレスが分からなくて年賀状をくれる人にはやっぱり出さないといけないし。(そういう人には、「メールアドレス教えてください」と何度か書いてみたんですが、無駄でした。)印刷するまでが忙しい時期と重なるので大変ですが…。

しかし去年の年末はあまりにも大変だったので、やっぱり年賀状はメールにしようと思いました。でもアドレスが分からなくて毎年年賀状をくれる人もいるので、どうしたものか? Mに言わせると「普段メールのやり取りしない人に年賀状出す必要なんてあるの??」という事らしいんですが、普段メールのやり取りとかしてなくて年賀状だけやり取りしてる人って結構いるんですよねぇ。そういう人いますよね? この年になると生存確認みたいな意味もあるかもしれませんが…(^_^;)。そこで、次回はメールアドレスが分かっている人はメールにして、分からない人の年賀状には「来年から年賀状はメールのみにしようと思いますので、下記のアドレス宛にメールをお送りください」と大きく書く事を思いつきました。そうすれば面倒だなぁと思いながら仕方なく年賀状を出していた人は、メールを出さなければいいんだし。2年計画になりますが、果たしてうまくいくでしょうか? そう言えば今回も、以前から葉書の年賀状をやり取りしていた人には葉書で出して、そうではなくて普段メールをやり取りしててお世話になった人とかメールの返信をしそびれていた人なんかにはメールに年賀状を添付して出したんですが、メールだとすぐに出せると思うと、何でもギリギリにならないとできない性格が災いして、なかなか出せないんですよねぇ。葉書だと印刷会社の入稿期限があるので、仕方なく間に合わせようとするんですが…。12月に忙しかったせいか年始にちょっと体調を崩したり、そんな時に限って忙しい事が重なって、結局松の内ギリギリにメールやラインの年賀状を出しまくる羽目になり、それはそれで大変でした。忙しい時って重なるもんなんで、どっちが楽かはよく分かりませんが…。

でもまぁMの言うように、やっぱりメールやSNSは便利ですよね。近況にクリニック通信のURLを貼り付けたりもできるし、挨拶だけの人はBCCでまとめて送る事もできるし、個別に送る事もできますし。葉書だと多くの事は書けませんが、メールだと好きなだけ書けますしね。今回も整形外科時代の先輩で東京におられるT先生が早々に賀状をくださったので、メールで賀状を送って昔の思い出話なんかを書くと、「いやぁ、嬉しかったよ!」と電話をくださいました。T先生は前の教授選で悪名高きK先生と戦った先生ですが、膝を専門にされていたので、私が母の膝の手術を執刀した際に一緒に手術に入っていただいた事があります。また以前東京の学会に行った際に、T先生と現在整形外科の教授になっているT君とイタリアンに行った事もありました。去年抗加齢学会にWEB参加した際には、T先生が座長で、父のお通夜に駆けつけてくれた後輩のO君がイブニングセミナーの講演をしているのを見つけ、O君も偉なったんやなぁ…と感慨に耽ったものです。そんな諸々をメールに書いたところ、T先生はとても懐かしがってくださって、いろいろお話してくださいました。「コロナが落ち着いたら、ぜひ一度同門会に来てよね。府立医大もだいぶ浄化されましたよ。以前はお金まみれの医局だったじゃない?」2年前に教授がK先生からT君に変わった事で、医局にもやっと春が来たようです(^^;)。T先生は東京の大学の整形外科教授を経て現在は医療健康学部の学部長と副学長をしておられ、「最近はアンチエイジングに運動がいかに大事かという事を研究しているんですよ。その最先端の本を送ってあげるから読みなさい。神戸でそんな事をしているところはないと思うから」と言ってくださいました。いくつになっても先輩ってありがたいものですね。

…とメールが便利なのは疑いようがないんですが、同じ近況報告と言っても確かに「はがき」と「メール」では何か重みが違う…というのはどうしても感じてしまいますよね。特に一定の年齢以上の方への連絡はこの「何か重みが違う」という感覚が、年賀状を廃止できない最大の理由だと思います。それがもし「手書き」と「メール」だったらもう完全に「手書きの手紙」の方がずっしりと何か相手の思いが詰まっている…という感じがします。私の知り合いの中にも「お礼状は手書きの葉書をいつでも出せるように」と鞄の中に筆ペンと葉書を常時入れてるという人がいます。(まぁもちろん年配の方ですが…。)また何か贈り物をすると、若い人はメールかラインでお礼が来ますが、50歳以上の人は手書きの葉書で礼状が来る事が多いですね。
ところで、私の世代であれば誰でも知っていると思いますが、昭和の名曲に「かあさんの歌」というのがあります。「かあさんが 夜なべをして 手ぶくろ 編んでくれた…♫」ってやつです。知ってますよね?? 歌詞が素晴らしいので引用させてもらいますと…

かあさんが 夜なべをして
手ぶくろ 編(あ)んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
故郷(ふるさと)のたよりはとどく
いろりのにおいがした

この歌が私の心にジンと滲みるところは、「故郷(ふるさと)のたよりはとどく いろりのにおいがした…」というところです。手紙と手袋と一緒に故郷のいろりの匂いまで当時の郵便は届けてくれてたんですよね…。もう今のSNSでは絶対に伝える事のできない「故郷のいろりの匂い」を届ける事ができたって、当時の郵便って凄い情報量だったんだなと改めて感心します。この便りを受け取った息子は「故郷のいろりの匂い」を感じた後に、頭の中で故郷の風景や数々の思い出、お父さんやお母さんの働いている姿などのシーンが一杯に広がったでしょうね。いくらインスタグラムで頑張って本日のディナーの綺麗な写真を撮りまくったり、美顔機能使って自分の顔を20歳位若返らせてFacebookにアップしても、老体に鞭打ってダンスしたショート動画をTickTokに投稿しても、「故郷のいろりの匂い」はアップできません…(^_^;)。もちろん、将来は技術が進歩して「近い匂い」などを合成できるような装置ができるのかもしれませんが、人間の繊細なセンサーが本物との違いが分からなくなるほど装置が発達するのは、まだ相当先の事だと思います。

実は…なんでこんな事を書いているかと言うと、InstagramやFacebookにアップされている多くの写真(特に若い方がアップされた写真)は相当高い確率で修正されているというのが目につくからです。今は確かにAIの技術などが進化しているので、美顔機能も相当進化していて自然な感じにはなってきたのですが、やはり人間の感性っていうのは長い時間をかけて進化してきたので、ほんの僅かな違いをも検知してしまいます。まぁそれは美容整形でも同じでして、大きく手を入れたり何度も手を入れると、どうしても不自然さが目につくようになります。それと意外と盲点なのは、若い頃に行った美容整形が年を取ってくると不自然な状態になってしまう事です。これは若い頃の骨格と肉付きの時に最適化された状態で美容整形したものが、年をとると骨格と肉付きは変化するのに美容整形の材料は変化しない為ですね。人間のセンサーは非常に微妙な違いを検知しますので、そういう時はやはり「不自然さ」を感じてしまいます。幸いにして…?…当院にお越しいただく患者様の中には、若い子が美顔機能を使った写真のようになりたい…というような方はほとんどおられません。自然な状態で5歳から10歳程度若く見えるようになりたい…という要望の方がほとんどです。このようなケースでは使う材料を、できる限り肌に吸収されてその後本来の肌と馴染むようなものを使う事で、経年による不自然さを避ける事が可能です。極めつけはボトックスでして、半年前後で確実に効果が消えてしまうので、半年に一度打ち直しをしなければならない…という面倒を厭わなければ、自然さを維持するには最適な方法です。ただ、もっと若さを自然な形で維持したいという事であれば、外科的な手法だけでなく、体の内面から健康を維持するというアンチエイジングを伴う方法が一番である事は言うまでもなく、私も美容皮膚科という外科的な手法のみならず、内科的なアンチエイジングに近年は力を入れています。

皆様の周りにも「え? そんな年には全然見えないですね…お若いです!」と言われている方がおられると思います。それってよく観察すれば分かるのですが、皺が少ないとか皮膚が垂れていないという外見的(外科的措置で対応できる課題)だけでなく、その人の体が健康だからなんですよね。そして、その人の健康は皮膚によく現れます。(特に顔の皮膚に…)調子が良くない時に「なんだか顔色悪いね…」って言う事ありますよね。人間のセンサーは微妙な皮膚の色合いの変化もしっかり検知しますので、いくらお化粧してもその人の健康状態ってどうしても検知されてしまうものなんです。(もちろん宝塚の舞台化粧のような濃いメイクをされれば別ですが…普段そんなメイクをしてる人は流石にいませんよね?)まるで「故郷のいろりの匂い」のように本当に僅かな違いを人間は検知して想像を掻き立て、頭の中で像(イメージ)を作り上げます。これが人間の創造性の根源だとも言われています。心理学の研究者によると、人物に対する印象は実物よりも、その人の頭の中で形成されたイメージによって左右される方が大きなウエイトを占めるのだとか…。同じように初対面で会う人の大半は、顔を見た時の印象でその人の健康状態だけでなく性格や社会性などもイメージを形成されると言われてますので、やはり一定の年齢を超えると、アンチエイジングへの取り組みは、本当の健康を得るという実益と相手に与えるイメージの向上も兼ねて、人生を謳歌する為の王道だと思います。

これからは年賀状だけでなく、手紙を出すような機会はますます減るのは間違いないと思いますので、「故郷の匂い」を届ける事はほぼできなくなりそうです。そして、SNSなどがますます普及するので、実際に人と会うシーンすら減っていくのでしょうね。(そして新型コロナがその傾向に追い打ちをかけて、決定的なものにした感じがありますが…。)
それだけに実際に人と会うという貴重な機会を大切にしたいですし、その時に相手に好印象を与える事ができるように、私もお手伝いする事ができるよう頑張りたいと思います。