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第215回「仁義なき戦い…医局編」

こんにちは! 柴田エイジングケア・美容クリニックの柴田です。寒い日と暖かい日の差が激しいですが、皆様体調などは大丈夫でしょうか? コロナもまだまだ落ち着きそうにないので、免疫力アップを心がけてくださいね。私はと言えば…先日神戸で学会があったという事で、整形外科時代の後輩M君が手土産を持って訪ねてきてくれました。整形外科の医局を辞めてもう20年近く経つのに、こうやって訪ねて来てくれる後輩がいるのは嬉しいですねぇ。久しぶりに会ったので整形の医局の話に花が咲きました。実は私の出身大学の整形外科の医局は、去年の2月に教授が交代したところなんです。医者って「医者以外の世界を知らない」人がほとんどで、いい意味では「すれてない」し、悪く言えば「世間知らず」が多い狭い世界なので、「昔話」と言えば医者仲間の話や歴任した病院での話で盛り上がります。同じ釜の飯を食った(理不尽な環境に励まし合って耐えた?)仲間なので、話し出すと止まりません。実はこのクリニック通信第163回「医局の春」で医者の内輪話を書いたのですが、意外にも多くの患者様から「いいね!(好評?)」を頂きました。最近はコロナ禍で医療現場が崩壊しそうだ…というような報道もあり「医者の世界」に興味を持たれている方もおられるかと思いましたので、今回もう少し暴露話をしてみようと思います。(初めにお断りしておくと、今回のコロナ禍で対応の最先端におられる医療従事者の皆さんには本当に頭が下がる思いです。医者の世界の裏話をちょっと面白めに書かせてもらいますが、決して最先端におられる皆さんを誹謗中傷するつもりはない事をお断りさせていただきます。)




先程、去年の2月に教授が交代したと書きましたが、その前の教授は医局員に一番嫌われていたT先生です。(ああ、、本当の事言っちゃった。)T先生が教授になった途端、医局員が30人辞めて開業したというのは当時の大学でも有名な逸話で、私もその時に医局を辞めて開業しました。皆様は「医局」って何?って思うかもしれませんね。「医局」というのは大学の診療科毎の教授をトップとする、独特の機能や制度を持つ組織です。大学の医学部が関係する病院には、大学の附属病院の他に民間の「関連病院」と言われる病院が多数あって、一種の「提携」をしています。その「提携業務」の中で最も重要な事が「医師の派遣」です。民間病院は大きく分けると2つあり、一つは個人経営の所…これは町中の診療所とか個人医院ですね(私もその一人)。それ以外は医療法人や地方自治体などが経営母体の大規模病院(神戸で言えば中央市民病院など)です。このような大規模病院では、そこに所属する医師は全員「勤務医」というサラリーマンになります。実はこの大規模病院において優秀な勤務医をどうやって採用するかというのは大きな課題なんです。大都市にあり知名度が高く、症例の多い病院にどうしても希望者が多くなり、地方にある病院は勤務医の希望者が少なくなります。そこで登場するのが大学の「医局」。私達の時代は、医師国家試験に合格後大学の「医局」に所属する人がほとんどで、「医局」に所属すると「医局」からの辞令で実際に勤務する病院が決まる…という制度になっています。こうする事で地方の病院でも勤務医の確保ができ、大都市の先進的な病院で実績を上げたい医師も関連病院であれば勤務できる可能性があるので、Win-Winの関係であると言われていました。…そう言われて、私達も大学を卒業すれば何も疑う事なく「医局」に所属しました。ところがどっこい…だったんですねぇ。



医者になりたての頃は分からなくても、経験を積んで来ると「あれ? 医局って結局何なの? なんかおかしくない?」と疑問を持つようになります。これが本当に不思議な組織で、皆様のイメージしやすいものとしては「ヤのつく自由業」、「○○組」に近い気がします…(^_^;)。何やら物騒な話になってしまいますが、実際にいろんな所で共通点があるんですよ。まず、「医局」という組織には法的な権限はなく、所属するのは個人の自由意思です。でも普通、自由意思で所属するならその組織の運営ってある程度民主的になりますよね。でも「医局」には民主的な部分はほぼゼロで「親分=教授」の言う事が絶対です。親分から「行け!」と命令が下れば逆らうなんて許されず、突撃しなければならないのも同じです。聞くところによると「○○組」みたいな組織では「盃を交わす」らしいのですが、その組に所属する時親分から盃を頂きそれを飲み干すと「疑似親子関係」が結ばれるそうですね。そして親が言う事に子は逆らってはならず、この絆は親から切る(破門を言い渡す)事はできても子供から切る事はできないそうです。なんだか、このような暗黙の「掟」も医局によく似ています…(^_^)。実際に、一旦医局に所属するとなかなか辞められないんです。無言の圧力と言うか…。今でこそネットで勤務先を探す医師や、ドクターXで有名になったフリーの医師もいますが、私達の時代にそんな事しようもんなら「ならず者!反社会人!落ちこぼれ!」というレッテルを貼られ、村八分にされるという状況でした。例えば私のような外科医の場合は、自分の得意とする分野で手術を行い、その道の権威となる事が一つの目標とされていました。優秀で向上心のある外科医にとって「症例が多数あり手術の設備とスタッフが揃っている病院」に務められなければ、経験を積む事も実績を上げる事もできません。自分の希望を叶えてもらう為には、ひたすら医局に従順になるしかないんですよね。また皆様は「開業医」は大切な存在と思ってくださっているかもしれませんが、医局という集団に所属していると、言い方は悪いですが開業医は「ワンランク下」の存在です。個人病院と公的病院の手術設備やスタッフの差は圧倒的なので、実績を上げたくても開業医では不可能という実態もあり、優秀な外科医は大きな病院で勤務してその道の権威になる…というのが王道で、開業医はドロップアウトした、もしくはお金に目がくらんで道を踏み外したヤツという見られ方をしてたんです。(ただし、これは医局を辞めさせないようにする洗脳だったんですけどね…。)



なんで医者の世界でそんな事が通用するのかと言うと、「世間知らずで洗脳させやすいから」としか言いようがないですねぇ。高校の時に自分の将来を決めたら後はひたすら勉強の毎日。なんとか医学部に進学できても学生生活は医者の卵と医学の先生だけの世界です。そして更に勉強してなんとか国家試験に合格すると、今度は研修医という地獄の特訓が待っています。(まぁ今は研修医制度も変わったようですが、私の頃なんか軍隊と変わらない世界だった気がします。)その特訓を耐え、その後も鍛えられてようやく「真打ち」(最も実力のある人)の状態になるのですが、それまで全く他の社会を知らない訳ですから、「上司の事を疑うとか反抗する」という事も知りません。なので大学の医局長や教授に「君は医局に所属しなさい。そうすれば自分で仕事を探さなくてもこちらで君に最も適した職場を手配するから」と言われると「はい! ありがとうございます!」と疑う事なく「医局」に所属する事になります。そして「真打ち」になっても、医局から「君は4月からこの病院に勤務しなさい」と辞令が出ると、「はい!喜んで!」とその病院に勤務する事になります。そう言うと「なんだ…医局に就職した訳だね」と思うかもしれませんが、「医局」には就職できません。医局はあくまでも斡旋機関であるので、労働契約は実際に勤務する病院と結びます。医局は斡旋機関としてなんら法的拘束力もなければ義務も権利も持っていません。にも関わらず「転勤の辞令」を出せばそれに従って転勤しなければならないのです。「来月から○○村の△病院に転勤してください!」と言われれば「断る」って事はまずできません。待遇や給与なんて分からずとも「はい。行きます」と言うしかないのが私の頃の医局でした。よく考えたらこれって本当におかしな制度だと思いませんか? 会社に就職したのであればその会社が辞令を出して転勤という事はあっても、医局という全く法的に義務も権利もないところが「転勤辞令」を出せるのです。じゃ、なんでそこに所属している医者は素直にその辞令に従うのか?と言うと、「洗脳」以外にはほぼ説明できないんですよねぇ。なので「○○組」と組織運営の手法は同じなんじゃないか??って思ってしまう訳です。



そんな「掟」の中にあって「親分=教授」が絶対的な世界だったにも拘らず、前任のT先生が教授になった途端に一気に30人も医局を辞めるというのは、神戸の皆さんだったらよくご存知の「○○組・分裂事件」と同じくらいの衝撃なんですね…(^_^)。あちらの世界でそんな事したら報復されますね。「やられたらやり返す」は医局の仁義なき戦いでも同じなんです…(^_^;)。(と言うか、どんだけT先生の人望がなかったか…って事なんでしょうけど。)しかしなぜそんな人望のない人が教授になれるのか?? それは、教授選というのは大学の教授にしか選挙権がなく、医局員には選挙権がないからなんですね。なので、直属の部下である医局員に人望がなくても、他科の教授に外面が良かったり、政治力がある人が教授になった訳です。そして当時の医学部の教授は今と違って美味しい事がいっぱいあったので、欲のある人は教授になりたがり、教授選では「白い巨塔」にあるようなドロドロした画策や水面下での激しい攻防戦が繰り広げられた…というのは事実のようです。そして一旦教授になると「人事権」という伝家の宝刀を使って医局員と関連病院を押さえる事ができるので、権力がますます助長する訳です。



思うに、なぜT先生はそんなに人望がなかったのか? それは性格の悪さと手術の下手さに加え、教授になりたいがためのなり振り構わぬ言動行動が原因だったと思います。T先生の手術の下手さには定評があり、T先生が人工骨頭置換術(大腿骨の骨頭を切除して人工骨に換える手術)を執刀すると必ず大腿骨が割れるので、人工骨頭置換術では大腿骨は割れるものだと思っていた研修医もいたとか。人工股関節全置換術では、骨盤に人工関節を固定するスクリュー(釘)を入れるための穴をあけるドリルで太い血管を切ってしまい、血管外科の先生を呼んで血管を縫ってもらわないといけなくなって、手術時間が15時間に及んだ事も…。私が研修医の頃は、入局して最初の4か月は1か月ずつ違う指導医の下について指導を受けるという制度になっていたんですが、T先生が指導医だった月は手術の度にトラブルがあり、1日も休めなかった記憶があります。一方でT先生は手術は下手でしたが、人が書いた論文を巧みに自分の論文にしてしまう事は得意だったようです。私は学会発表の時にスライド(当時はパソコンではなくスライドを映写機で写す発表が主流でした)の端をT先生が切ってくれただけで、その時の指導医の先生に「T先生もスライド作るの手伝ってくれたから、共同演者に入れてあげてな」と頼まれて共同演者にT先生の名前を入れたんですが、その発表を論文にした後T先生に「あの論文英語に直したげるから資料貸してくれへん?」と言われて資料を貸しました。するとできた論文はT先生が筆頭著者になっていて、私の名前は消されてたんです。(筆頭著者の論文の数が多い方が教授選で有利だからでしょうけど、私の名前消さんでもええやろ! ○○組の親分でもそんな事せえへんと思うけどなぁ…。)その話を同僚にすると、同じ目に遭った人はたくさんいるとの事でした。



また、T先生が出張に行っていた病院では膝の手術症例が多かったんですが、教授選では手術の執刀件数も評価の対象になるので、T先生は手術中何もせずに見ているだけなのに手術記録に「スーパーバイザー(監督)」と書かせて手術件数を稼いだそうです。(しかしそのため、教授選の対抗馬で膝が専門のS先生よりT先生の方が膝の手術件数が多くなって、問題になったそうですが…。)その上、他科の教授や自分の利益になる人にはおべっかが上手く、部下や自分の利益にならない人には高圧的だったので、人望が得られる訳がありませんでした。そんな人でも論文と症例数が多く、実弾(お金)や政治力があれば教授になれてしまうのが大学病院という白い巨塔だったんです。そうして教授になったT先生は独裁体制を敷いて権力を振るっていたそうですが、一昨年遂に定年で退官し、昨年私の後輩でもあるK君が教授に就任しました。以前の通信にも書きましたが、最近は教授は美味しい職ではなくなってきたので、まともな人が教授になるようになったみたいです。K君は元はT先生の研究班でしたがT先生の仕打ちに嫌気がさして、10年前に医局を離れて東京の大学で勤めていましたが、見事に返り咲き。私が仲の良かった後輩の同期なので何度か一緒に食事に行った事がありますが、真面目でとてもいい人です。T先生はもちろん自分の息がかかった部下を教授に押し、院政を敷こうとしていましたがそのもくろみも破れ、そのような教授交代を喜ぶ声はあちこちで聞かれていました。



前置きが大変長くなりましたが、大学の整形外科では毎年12月に同門会の総会というものがあって、多くの整形外科医が集まります。私も新教授のK君や後輩のM君から同門会総会への出席を誘われていたんですが、コロナ禍でもあり体調も少し悪くて断念したため、M君は新教授初の同門会総会の報告をしに来てくれたという訳です。M君曰く、


「同門会、めちゃくちゃ面白かったですよ~! V先生とS先生の倍返しが決まって、半沢直樹より面白かったわ~!! もうドラマのような展開だったんですよぉ!」…という事らしい。

(そんな面白かったんだったら私も行けば良かった…(^_^)。)


V先生とS先生というのは、前教授T先生と教授選を争って負け、大学を離れていた先生です。昔の医局はまさしく「白い巨塔」だったので、教授選に負けたら大学を出なければならなかったんですね。T先生は独裁体制を敷いていたので、他にも追い出されたり自ら退会した先生もいるようで、そういう先生達はずっと同門会総会には出席していませんでしたが、新体制になって十何年振りに復活したそうです。中でもV先生は、同門会というものは本人の退会意思がなければ除名はできないはずなのに勝手に除名されていたとかで、「それはどういう事か!」と吠えたらしい。また同門会の会則に、会長資格は以前は教授のみだったところに「教授経験者を含む」と盛り込んで、他学出身の人が教授になっても前教授が会長に居座れるように、総会で会員の決議を得ずに勝手に幹事会の中だけで決めたらしく、V先生はそれを指摘し、それはどういう事か、いかがなものかと追及されたそうです。これは後になって「会長は教授」という内容の会則に戻ったようですが…。つまりT先生が同門会の会長に居座ろうとしたけど、それは阻止されたという事ですね。



当時冷や飯を食わされた人達が権力の座から降りた人に倍返しを初めた…ってところでしょうか。聞くところによるとお隣の国、韓国では大統領を辞めたトタンに新しい政権から逮捕されて刑務所送りにされる事が多いようですが、怖い怖い…(^_^;)。S先生は最後のスピーチで、「外部から大学を見ていてこんなおかしい組織はないとずっと思っていました」「新体制のこれからは同門をサポートします。准教授のI君(T先生の直属の部下で、K君との教授選に敗れた先生)も大切にするようにK君には言いました」と言われたそうです。昔のように、教授選の対抗馬だった先生を仇みたいに扱う事はしないように…という事ですね。T政権では人事も不公平で、T先生にへつらわなければ僻地に飛ばされたりしていたらしく、K君は「これからは人事も公平にしたい」と言っていたそうです。そうだ、そうだ! パチパチ! ヤンヤ、ヤンヤ!


私がいた頃の医局もたいがい理不尽な事が多く、少しでも仕事ができると大量の仕事を押し付けられるため、「できたら損、目だったら損」という合言葉がありました。T先生が教授になったらもっと酷い医局になるだろうなと思い、見切りをつけて開業したんですが、本当に医局を辞めて良かった。独立すると、自分で責任さえ取れば自分の正しいと思う事ができますからね。そして美容医療に転向して良かったと思っています。整形外科をしている時よりもさらに多くの人に喜んでもらえて、多くの笑顔に出会えましたから。何はともあれ、大学もやっと正しい事が正しいと言えるようになったという事で…これからの医局の発展を陰ながら応援しています。頑張れK君!



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