
こんにちは! 柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。寒い日が続きますが、風邪などひかれてないでしょうか? 皆様はどんなお正月を過ごされましたか? 私は今年のお正月は、年賀メールにほぼ費やしてしまいました。殆どの事がメールやLINEのネット経由で済んでしまう世の中で、お正月だけは未だに年賀状という超アナログな手段でコミュニケーションを取るのもなんだか不思議ですが、このような風習も時代と共に変化するんでしょうね。周りにはお正月の挨拶は電子メールのみ! とした人もいますが、私はまだ年賀状も継続しています。しかしアドレスが判っている人には3年前から年賀メールを始め、今年はついでにスタッフや看護師の紹介もお願いしたのですが、メールでは全員に同じ文面で出すのも変な感じがして、しかも人数が多いので連絡先のグループ分けや文面の変更などが結構大変でした・・・(>_<)。

そんな訳で、他は1日実家に日帰りしたのみ。いつもお正月は両親2人暮らしの実家に姉一家と私が集まって昼間から宴会・・・という形になります。10年ほど前までは母がご馳走を作ってくれてたんですが、去年で父は90歳、母も87歳になってさすがにおせちを作るのは無理になったので、今年は姉が購入したおせち、私はクリニック通信第119回に登場したO様から贈っていただいたおせちを持参しての会となりました。母は最近ちょっとボケてきて物忘れが激しいのですが・・・^^;)、それでもお酒が好きな姉の旦那のために池田の銘酒「呉春」の特級を近くの酒屋から仕入れ、「(姉の旦那に)呉春の特級飲ましたってや!」と何回も言っていました。この通信でも何回か書きましたが、母は成人病のデパートであり、腹部大動脈瘤で人工血管置換術を受けたり、心筋梗塞を2度起こして冠動脈のバイパス手術を受けたり・・・という生死の綱渡りを何度もしているにも関わらず(詳しくは通信第83回「がんばりまっせ~」、第12回「プラセンタの驚異」をご覧ください)、本人は強気で「ワテ、90まで生きるで!」と言っては、父が「ホンマ、厚かましいやろ・・・」とツッコミを入れる。それは毎年恒例のお正月の変わらぬ実家の風景でしたが、こちらは「今年も無事お正月を迎えられたなぁ・・・」と思っていました。

しかし、ほっとしたのもつかの間。お正月明けの1月7日、朝から携帯が鳴ったと思うと父からで、母が心臓を診てもらっている国立循環器病センターで転倒し、骨折してしまったらしい。そこには整形外科がないのでどこかで診てもらうように、との事でした。「しもた!!」母くらいの高齢者になると、転倒による骨折は命取りになりかねません。昔整形外科医をしていた私はそんな事は百も承知だったのに、最近は忙しさにかまけて「転ばないように」という注意を両親に再三していなかったのを悔やみましたが、後悔先に立たず。昔勤めていた吹田の病院で、元整形外科部長K先生が院長をしているのですぐに連絡を取り、救急搬入してもらいました。高齢者の転倒による骨折で一番多いのは大腿骨の頚部骨折です。昔はこの骨折で歩けなくなって寝たきりになり、肺炎などの合併症を引き起こして亡くなる人が非常に多かったのです。最近は手術をするようになって、頚部骨折後の死亡率はかなり減りましたが、高齢で合併症が多いと麻酔や手術のリスクは高くなります。母の場合は心血管系の合併症は最大級、おまけにボケもある・・・もし頚部骨折だったら、リスクは非常に高いので厳しいなぁ・・・。そんな事を考えながら吹田の病院に向かいました。向かっている途中でK先生から電話が。「頚部骨折とちごて、骨盤骨折や。右大腿骨頭の中心性脱臼みたいになってるわ・・・」えーっ!なぬ?? 骨盤骨折って・・・頚部骨折よりたち悪いやん! 取りあえず、今の吹田の整形の中では一番しっかりしている後輩M君に主治医になってもらうように頼みました。
最近はネットで病院の真実なども沢山書かれているので昔ほど閉鎖的ではなくなりましたが、それでも一般の人には大きな病院の内部事情は良く分からないのではないでしょうか? あんまり書くと医者仲間から総スカンを食らうので、ちょっとオブラートに包んで書きますが、医者は本当にピンからキリまで・・・もっと言えばビギナーからゴッドハンドまで多種多様です。(どこがオブラートやねん??)特に外科系になると通常主治医が手術をしますが、手術は一種の職人技なので医師免許云々や知識以前に「器用さ」が大きく影響します。普通の世界でも何でも要領良くこなす人と、何度やっても上達しない人っていますよね・・・。あれです。ところが困った事に、不器用なのに手術が好きな外科医も結構いる上、術前・術後の管理もきちんとした医者とそうでない医者では雲泥の差があります。まぁ・・・コレ以上は言えませんが、とにかく主治医が違うだけで生死を分ける事は多々ありますので、皆様くれぐれもお気をつけください・・・^^;)。

病院に向かいながら「去年の年末に母の誕生会を早くしたのがいけなかったのかな・・・」とか(誕生日祝いは早よしたらあかん、っておばあちゃんが言ってたのでちょっと気になってたんですが、調べるとやはり誕生日を前倒しに祝うと寿命を縮めると言うらしい)「最近忙しくてあんまり両親にかまってなかったな・・・」とか、反省しきり。病院に着いて3DCT(CTの画像を再構築して立体的に見えるようにしたもので、私が吹田にいた頃はなかった。医療も進歩してますねぇ・・・)を見せてもらうと、えらい事になっています。股関節は寛骨臼という骨盤のお椀のような窪みに大腿骨の骨頭(頭の部分)がボールのように収まっているのですが、骨頭がお椀の底を突き破ってくい込み、骨盤が何箇所も折れています。痛みに強く、普段は「注射なんか痛ないで!」と言っている母が「痛い、痛い!!」と叫んでいるし、顔色も悪い。骨盤骨折は骨からかなり出血するので、血圧も下がっていて、こりゃ本当にやばいかも、と思いました。それに骨盤の内側には太い動脈があるので、骨折で血管が損傷されるとかなり危険なんです。幸い大きな血管損傷はなく、夕方になって血圧も落ち着き、痛み止めで痛みも和らぎましたが、さあ治療をどうするかでK先生もM君も頭をかかえています。若い人なら牽引(大腿骨に針金を刺して重りで足を引っ張る処置)をしてその後手術ですが、この年になると手術の時にかける麻酔だけで死んでしまう可能性もありますし、手術は成功しても後遺症で完全ボケ老人になる可能性も大きい。牽引で動きにくくなるだけでボケる事も多いし、高齢の女性は大抵骨粗鬆症なので、牽引中に針金で骨が切れてしまう事もあります。でも何もしなければ車椅子どころか、寝たきりになる可能性だって大きい訳です。まさに主治医にすれば何を選択しても「火中の栗」を拾う事になるので、普通だったら担当したくない患者です。(ごめんね、M君。)

そんな時、私が吹田の病院にいた頃に医者より頼りになると言われていた看護師、自称キャサリンがお見舞いに来てくれました。(若かりし頃は合コンで自己紹介の度に「キャサリンでーす!」と言って出席した男性の度肝を抜く・・・というテクニックを駆使していた彼女も、はや50歳。キャサリンにもくっきりと目立つ深いシワが・・・。年月とはかくも残酷なものですね・・・^^;)。今度、無料モニターに誘ってあげよう・・・。ただ、彼女のFacebookは相変わらずシモネタのオンパレード。人間って外見は年をとっても中身は変わらないのね・・・(^^)。「主治医をM先生にしたんは正解やわ。そやけど最近の吹田病院はいろいろあって、積極的な治療はしにくいらしいよ。他の病院にも聞いてみたら?」と彼女に言われ、M君に3DCTの画像を印刷してもらい、スキャンしてメール添付で大学にいる後輩F君や北大整形の股関節専門の友人I先生に送って診てもらいました。(こんな事ができるのも、便利な世の中になったもんですね。)整形外科は股関節や膝や手など、部位によって専門分野が分かれているので(ちなみに私は手の外科が専門で、手首の関節の手術をよくしていました)、やはり餅は餅屋で、専門分野の人の意見は貴重です。

F君は昔吹田で一緒に働いていて、当時母はよく10人分位のお弁当を作って病院に持って来ては後輩達に配っていたので母の事もよく知っていたため、股関節班の後輩を集めて相談してくれました。そして「合併症多いし手術はやめといた方がええなぁ。でも牽引くらいはしたら?」 I先生は「直達牽引もいい方向に引っ張らないとリスクは高いし、腰椎麻酔が可能なら徒手整復(手で引っ張って骨折のずれを戻す方法)を試みて、ダメなら小さな切開でねじを大腿骨に刺して引っ張れば戻るかもしれないけど、私の母なら保存療法かな・・・」専門家の話でも、かなりリスクは高そうです。一時は手術も牽引も諦め、片足で移動だけできるようにリハビリを頑張るのがいいのかなぁと考えました。しかし、3日後に再度病院に行くと、痛みで動けないせいか、すでにボケが進んでいます。このままでは完全にボケてしまいそう・・・。以前の通信にも書きましたが、私が整形外科を選んだのは変形した母の膝を治すため。そのために激務に耐え、母の膝の手術は自分で執刀しました。なのに整形外科的なケガで何もせずにボケさせてしまうなんて、悔やんでも悔やみ切れません。それに母の性格を考えると、リスクを恐れて何もしないという選択肢はないのではないか・・・と考えました。以前に腹部大動脈瘤の人工血管置換術をするかどうかという時、リスクが非常に高いので周りの殆どの人は止めたにも関わらず、「絶対手術する!」と言って聞かず、「何にもせんと後で破裂して死ぬんやったら、今手術して死んでもかまへんねん。わて、勝負に出たいねん!」そう言っていた母です。心臓のバイパス手術の時も周りの心配をよそに、「手術しまっせ! がんばりまっせ~!!」を連発していた母です。やはり自分の命なので、ボケて来たとは言え、最後は本人の意思が重要だと思って聞いてみました。

「今危ないけど後がようなるかもしれへんのと、今は無難やけど後歩かれへんのと、どっちがええ? もし手術するとしても、今回は本当に危ないねんで。ほんまに死ぬかもしれへんけど、どうしたい?」
母は間髪入れず、「そら今危のうても、後がええ方がええがな!」この時ばかりは非常にはっきりした声でそう答えました。
母の言葉で、やはりリスクがあっても何らかの処置をして、母の残りの人生を少しでも良くした方がいいと思い、もう一度北大のI先生と相談しました。骨折はあまり時間が経つとずれた位置から戻りにくくなるので、整復や手術をするならリミットは2週間。吹田の病院でするのが無理なら転院も考えねばなりません。大急ぎで循環器病センターの主治医K先生に手術や麻酔が可能か相談すると、幸い心機能は保たれているので、腰椎麻酔での手術は可能だと。吹田病院でできない時はどこの病院がいいかも教えてもらいました。そして主治医である後輩M君に相談。循環器の主治医にOKもらったからと、腰椎麻酔で徒手整復し、無理なら小切開でねじを骨に刺して整復する案をもちかけると、「えーっ!! アグレッシブ(リスク承知で積極的)な事言うてくれはりますねぇ。僕ビビリやから、そこまでようしませんわ・・・。関節内に局麻入れて透視下に徒手整復ぐらいやったらしますけど・・・」透視下徒手整復というのは、X線で骨折部を見ながら整復する方法です。それもいいかも、と思ったので取りあえずその方法でやってみて、整復できればラッキー、できなければ転院を考えようと思って「火曜の3時半以降か水曜日なら私も手伝えるから」と言うと、律儀なM君は翌日火曜日の3時半に、透視室を予約してくれました。

翌日大急ぎでクリニックの診療を終えて吹田の病院へ。ところが、病室に着くと母はちょっとしんどそうにしています。M君は心配して「どうします? やめとく・・・?」しかし母は、「やっぱりする! してください!」と。そして私に向かって「せっちゃん(私の事)。あんたも手術手伝うてくれるんかいな。おおきに! 手術終わったらお小遣いあげるからな!」・・・そらおおきに。ほんまにその機会あるんやったら・・・と言いかけてやめました。そして母の「お願いします!」の一言が合図となり、全員が黙ったまま透視室へ移動します。M君がエコー(超音波画像)を見ながら股関節の関節内に上手く針を刺し(これも新しい技術で、M君はこの方法を学会で教育講演などしているそうです)、私がアシストして局所麻酔剤を注入。久しぶりにプロテクター(鉛の入った放射線防護衣)を着て、透視を見ながら一人が骨盤、一人が大腿骨を持って引っ張ります。何度か引っ張ったり動かしたりしていると、ガクッ・・・という手応えが。「あれ、ちょっと戻ったんちゃう?」少なくとも最初の3DCTよりはいい感じ。透視で見ると関節の荷重面(体重をかける部位)は保たれていて、これなら右足に体重をかけられそうです。おぉ。こっ、これはラッキーだ! ちょっとなんとかなりそうな感じです。こんなに悪運強い人も珍しいんじゃない? ビビリながらも頑張ってくれたM君、ありがとう!! アドバイスしてくれたI先生、循環器のK先生にも感謝! みなさん本当にありがとう!

処置が終わって、10年ぶりに着たプロテクターを脱ぐともうヘトヘトでした。しかし、やっぱり母は半分ボケても運が強いようだ。父も昔から母の事を「悪運が強い」と言っていましたが・・・。母が心臓のバイパス手術を受ける時、以前主治医だったA先生がくださった「他人の人生経過で医師が介入できる部分はわずかで、あとはその人に定められた運命通りだと思います。過去に何度も修羅場を切り抜けられたお母様の運に、今回もきっと守られると信じております」というメールを思い出しました。この通信の原稿を書いている最中にも、ニュースでかつての柔道オリンピック金メダリストの斉藤さんが54歳の若さで亡くなったと報じられていました。鍛えあげられた体はもとより、精神力は誰よりも強いはず。そのような人ですら「定められた運命」の前ではこれ程までに無力なのか・・・と思ってしまいます。その点母の事を考えると、このような若く道半ばで逝ってしまわれる人には悪いような気がしてしまいますが・・・。それでもそれが母の運命であれば、せっかく授かった命なので後はこれ以上ボケないように、せっせとプラセンタ注射を打ちに吹田まで通わねばならなくなりました。ホンマ、どれだけ手がかかっても「おおきに!」で済ませるんやから・・・。まぁ、そうやって母の面倒を見るっていうのも私に与えられた運命なんでしょうね。私も老体に鞭打って、まだまだ「がんばりまっせ~!!」