
こんにちは。柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。今年は本当に寒いですねえ。皆様はどんなお正月を過ごされましたか? 私は元旦はクリニックにバイトに来ている留学生たちにおせちとお雑煮を振る舞い、2日は実家に帰って洋風と和風のおせちを楽しみ、3日は友人とおせちをあてに飲み、4日は従姉妹たちと40年ぶりに再会して食事会・・・と、溜まっていた仕事を片付ける暇もなく、飲み食い三昧で過ごしてしまいました。やはり人間は禁断の果実を食べちゃうイブの子孫なのか・・・食べ物の誘惑には弱いものですねぇ・・・。
最近はちょっとダイエットモードです。(たまにはハメを外してもちゃんと戻せばいいんです・・・ってのが私の持論でして・・・(^^)) ところで、その時にすっかり酒のあてになってしまったおせちは、特殊な冷凍技術で「冷凍しても美味しいおせち」を開発し、おせちの売り上げ全国一になったという、患者様であるO様が贈ってくださったものです。これは冷凍と侮ってはいけません。普通の人に黙って出せば冷凍品だと判る人はまずいません。留学生たちも友人たちもびっくりしていました。ここでは名前は書けませんけど、かなり有名な料亭のおせちなんかも実はO様の会社の冷凍品であったりするようです。(そりゃそうですよねぇ。普段でも忙しい料亭の皆さんがお正月の時期だけ急に何百ものおせち料理を作る事なんてできないと思ってました。かなり前から仕込んでいた冷凍品だったんですね。)

O様の企業秘密なので詳しい事は言えないのですが、その冷凍技術とは微妙な振動を加えながら凍らせる事で細胞を破壊する事なく冷凍保存ができるというものです。以前私が研究していた、自分の血液の血小板を冷凍保存しておき、好きな時にPRPができるようにしようという実験(凍結PRP)は、このO様から技術提供をしてもらう事がアイディアのベースとなりました。残念ながらというか、いつもの如くというか・・・だこの実験は実用段階にまでは来ていません。何度も血小板を凍結させてPRPとして試し、凍結させる前の血小板に近い効果を得る事はできたのですが、同時にダウンタイムも軽減できるのではと考えていたのがそこまで到達していないので、まだまだ研究の余地有です。しかし細胞保存の技術もどんどん進化しています。実際に血液の冷凍保存そのものは実用化されていますし(マイナス80度で10年間保存ができると言われている)、血液製剤などの冷凍保存はかなり広く普及しています。ただ、いかんせんその生成コストや保存コストは高く、一般の美容皮膚科で導入できるレベルのものではありません。これが一般に普及できるレベルにコストが下がれば安定したPRP製剤を自分の血液で作って保存する事が可能になります。(自分の血液なのでアレルギーや生体拒絶反応が出ない安全な治療法になります。)おせち料理からPRPって全く関係がないような世界ですが、技術の革新はこのようなアイディアも産んでくれますし、将来の夢も広げてくれるのです。

2013年も始まったばかりですが、自民党が再び政権をとってからは安倍首相の日本経済再生プランへの期待からなのか、円安になったり、日経株価も一貫して上昇したり、不況の克服に多くの期待が寄せられているようです。(・・・っておせちからいきなり経済の話題になるなどちょっとクリニック通信らしからぬ展開ですが、私だってYahoo! ニュースくらいは毎日見ているのだ。)経済がグローバル化して、日本だけが「失われた20年」と言われ、グローバル化から取り残されてしまったようなのですが(・・・これもYahoo! ニュースの受け売り・・・)、私の個人的な生活感だけで言ってもグローバル化って凄い速度で進んでいるように思います。うちのクリニックのスタッフにも中国からの留学生が3人もいます。韓国からの留学生を合わせると、留学生の数は日本人を上回ってしまいます。最近の日本の若者は少し厳しくするとすぐに辞めてしまうので、治療内容を理解できるくらいの素地があってバイタリティーもあるスタッフを集めようとすると、留学生に頼らざるを得なくなるのです。「中国は30年前の日本」とO様も言われていましたが、留学生たちは皆ハングリー精神があり、とても頑張ります。しかし言葉の壁もあり、日本語が拙かったり日本の文化に慣れない子は苦労する事もあります。中国の留学生で新人のRさんが言葉がちゃんと通じないために誤解され、怒られて落ち込み「クリニックを辞めようか・・・」と悩んでいた時、同じ中国の留学生でクリニック勤務では先輩のHちゃんが「先生は厳しいけど、ここで働いていたら先生からすごくたくさんの大事な事が学べます。将来きっと役に立ちます」と説得してくれて、Rさんは立ち直りました。今までの努力が実ったようでとっても嬉しい出来事でした。

そんなHちゃんも大学卒業間近となり、日本の大企業Gに就職が決まってクリニック勤務もあと1か月となりました。(後任を探すのがこれまた大変なんだが・・・。)Gの内定が決まった時は大喜びのHちゃんでしたが、Gでの研修をいろいろ受けている間に、日本の大企業の体制に疑問が湧いて来たようです。ちょうど韓流B君も就活の時期で、元々IT大学にいてプログラムにも詳しく、クリニックのシステム系の管理を任されている彼が私の友人Nが経営するIT系の会社に興味を持っていたので、Hちゃんも一緒にNの会社を見学に行く事になりました。Nの会社は十数年前はボロボロのマンションの一室を借りて数名で運営していた極小会社でしたが、その後急成長して今や近代的なビルの2フロアを占め、東京オフィスやデータセンター、そしてフィリピンに開発拠点を持ち、従業員数も100名くらいの会社になっています。

私も保護者として(?)会社見学に同伴し、見学の後に4人で食事をしたのですが、HちゃんとNは意気投合。何しろNは今の日本ではあり得ないくらい変わった経歴を持っています。大学時代、米国留学中に親の会社が破産して親は夜逃げし、連絡が取れなくなってみなしごハッチ状態に。あ・・・「みなしごハッチ」って知ってます? 「母を訪ねて三千里」のマルコって言った方がまだ知っている人多いかな? 最近では日本のアニメは世界的に普及しているので、アニメの話をすれば日本人より留学生の方がよく知ってる事があるんですよねぇ。先のHちゃんも「なぜ留学先を日本にしたの?」って聞くと「日本のアニメが好きで興味を持ってたから」って言ってました。恐るべし日本のサブカルチャーです。話を戻すと、Nは仕送りも途絶えて働かざるを得なくなり、米国に滞在していた叔父さんの紹介で旅行会社にアルバイトとして入って、いきなり電話で格安航空券を販売したそうな。(切羽詰まるとそれまでの留学先の大学では考えられないくらいメキメキ英語が上達したそうです。やっぱ人間、切羽詰まらなあかんのやね。)帰国後大学に復学するも、アルバイトでは授業料を払って生計を立てるのは無理なので、在学中に自分で会社を興したらしい。卒論はインターネット(当時はインターネットって言葉がなかったから、コンピュータ・ネットワークで作られた仮想空間って言ったそうな)について書いたのだが、当時は時代の先取りをしすぎたのか教授連に理解されず、おまけに鉛筆で書いたという理由で受理されなかったのに反発して8年も大学にいる事に。やっと卒業した後も一回も就職した事がなく(朝早く起きられないから就職させてくれる会社はないと諦めたという事で、大学に8年も在籍したのは、授業は行かなかったけどボーリングに行く時に学割が使えて便利だったから…らしい)、自分でいろいろな事業を興して崖っぷちを何度も経験しては這い上がり、今に至る…という波乱万丈の人生です。

N:「Hちゃんは卒業したら何をしたいの?」
H:「自分で起業したいんです」
おお! いきなりか! 少なくとも日本の大学生でそう即答する子は極めて少ないはず・・・。
H:「でもお金も経験もないし勉強も足りないから、大学院に行こうかとも思っています」
N:「大学院に行くなんてお金と時間の無駄、無駄。お金がなくてもいいアイディアとやる気があれば、お金を出してくれる人はいくらでもいるよ。実は世の中はお金が余っていて投資をしたいのに有望な投資先がなくて困っているんだから」
H:「ええ? そうですか??」
N:「うん。高学歴は確かに大企業やお役所という古い世界に就職したい時は圧倒的に有利になる。ま、それでも本当に有名大学を卒業した場合に限ってだけど。事業を起こすのは学歴は一切関係ないね。日本で有名なところではパナソニックの松下幸之助は中学卒業だし、ホンダの本田宗一郎も高等小学校しか出てない。ま・・・この人達は時代が違うけど、現代風に言えば大学なんか馬鹿馬鹿しくて途中で行く気がしなくなったって人達の方が創業に向いているだろうね。マイクロソフトのビル・ゲイツもアップルのスティーブ・ジョブスも大学に入学したものの、そこで時間とお金を使うのは勿体無いと早々に退学して事業を起こしている。日本ではライブドアの堀江モンも東大に入学したものの中退して事業を起こした人だね」
H:「へぇ・・・。そうなんですね・・・。知らなかったです」

HちゃんとNは起業の話などで盛り上がり、本来見学の主賓だったB君はおとなしく話を聞く側になってしまいました。しかもB君は緊張してたのか、スーツ姿でかしこまって普段大食いなのにあんまり食べません。片やHちゃんは普段着で、話に盛り上がりながらも大好物のお肉にかぶりついていました。(クリニック内でもそのたくましさから、「H様」「工場長」などと呼ばれています。) HちゃんはGの自由な社風と社長の常識に捕らわれない考えに共感してGに入ったそうなんですが、さすがに大企業の研修は洗脳から入るので、Hちゃんは「東京まで行くのに机上の空論ばかりで、何度も同じ事を繰り返して意味がないと思いました」と鋭く見抜いていました。Nの会社は本人が常識に捕らわれない変わり者だし、大企業ではないので本当に自由です。業務机一杯にフィギュアや写真なんかを飾っている人もいれば、プログラマーなどは出勤時間もかなり自由で、他にも無意味な規制はありません。大企業のような安定感はありませんが、自分で起業したいというようなバイタリティー溢れる若者は実力を伸ばせそうです。HちゃんはNの会社に興味津々。NもHちゃんの素材や鋭さ、バイタリティーなどを評価していたので、いい方向に進んだらいいなと思います。Nは中国にも近く進出したいらしいし・・・。中国に進出するのはO様曰くとても難しいのだそうで、Nも以前一度試みて失敗したにも関わらず再度挑戦するのだとか。「なぜ山に登るのか?」「そこに高い山があるから」らしいのです。(そう言えばそんな言葉も最近聞かなくなったなぁ・・・。)

しかし日本の若者は、ほとんどが安定した大企業に入りたがりますよね。そして海外に行きたがる人も少ない。若いうちはもう少し冒険して何事にも挑戦し、自分を磨くたくましさが欲しいと思うのですが・・・。私なんかは大学卒業後に十数年勤務医として勤め、ようやく独立して十数年が経過しましたが、中国の若者などは大学の頃から将来は起業したい、世界に出て活躍したいと思う人達が沢山いるという事に感心してしまいます。勿論それは時代の流れが中国の若者をそうさせているという事でもあるでしょうし、生まれて一度も好景気を経験した事がない日本の若者にリスクをとって起業しましょう・・・と言ってもピンと来ないかもしれません。(平成生まれの若者は生まれた時から不況で今も不況な訳ですから、経済が良くなる事を信じろと言われる方が無理なんですよね・・・ホントに。)そうであれば、実は「将来の夢を持ってその夢の実現の為に生きる。失敗しても諦めずに何度でもチャレンジする。そして、チャレンジが成功した時の喜びは何事にも代えがたい」という事を教えるのは私達の世代の仕事なのかもしれません。O様のような創業者はいい加減いい年になっているにもかかわらず、何かにチャレンジする事を全くやめようとしていません。夢を持ち続ける、チャレンジし続けるという生き方そのものを教える役割が私達にはまだ残されているように思うのです。

思えばおせち料理って昔の保存食だし、元々は美味しいって言うよりも大家族が何日間か買い物に行ったり料理をしなくてもいいように考案されて普及したものだと思います。今なんかコンビニでお惣菜は24時間365日いつでも買えるし、ダイエーなんか元旦から開いてる訳ですから、わざわざ保存食を家族そろって食べなきゃいけない動機がありません。それでもこの伝統が残っているのは、単なる保存食を超える美味しさと保存性、そして利便性を追求した人達の努力の結果だと思うのです。(先の冷凍保存技術がなければ、おせち料理は消え失せる運命だったかもしれません。)夢とかチャレンジって何も新しい事をするだけでなく、古き良き風習を少しアレンジして確実に次の世代に継承させる意味もあるんだな・・・って思う次第です。
今年もチャレンジしなきゃいけない事がまだまだ残っているみたいです。(その前に少しダイエットしなきゃ・・・(^^))