第170回「友達100人できるかな?」

  

こんにちは! 柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。やっと暖かくなって春らしくなりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか? お花見は行かれましたか? 桜の花の下でビニールシートを敷いてお弁当食べたりカラオケ歌ったりと、春の陽気の元で外に出た解放感もあって、多少の羽目を外す事が許されるのも日本ならではですよね。ただ、桜の花ってあれほど美しいのに実際の見ごろは2週間くらいしかないのですが、その儚さもまた日本人の心をぐっと掴んで放しません。

桜の花を見ると春の到来という嬉しさもありますが、私は別れの印象の方が強いかもしれません。かつて一世を風靡した森山直太朗の「さくら」の歌詞の中でも、「さらば友よ、またこの場所で会おう…桜舞い散る道の上で…♪」って部分が頭の中でリフレインします。

「出会い」って、出会ったすぐにはその人との出会いがそんなに重要だとは分からず、時間を重ねていく中で得難い友達だった…というのが分かってくる訳で、映画にあるようなセンセーショナルな「出会い」は現実の世界にはそんなにある訳ではないと思いませんか? それに引き換え「別れ」の方は今まで積み重ねた時間と関係を一瞬にして奪ってしまうものだから、心に与える影響としては出会いよりずっとインパクトがあると思うのです。たとえその人が無二の親友や恋人の関係でなかったとしても、「失う」という時が来てしまうと「失うものの大きさ」が切々と心に影を落とします。

当院でも2009年からアルバイトに来てくれていた韓流B君がついに大学を卒業し、大企業に就職が決まって東京へと巣立って行きました。途中2年間徴兵で韓国に帰っていましたが、それ以外の6年間、クリニック最優先で働いてくれました。韓流B君は頭脳明晰な上、パソコンが得意なのでクリニックには欠かせない存在で、ホームページの編集やシステム関係は全て担当してくれていたので、学校の必須科目以外はほぼ出勤、帰省もクリニックの都合に合わせてくれていました。これまでで最もクリニックに貢献してくれた人だと思います。他のスタッフとも仲が良く、スタッフの中でも一番信頼されてたんではないでしょうか。

最初に当院でアルバイトを始めてくれてから8年の時が過ぎ、いよいよ別れの時が来てしまいました。勿論当院にとってはあまりにも寂しい事なんですが、本人にとっては、海外から留学して、努力を重ねて日本の国立大学を卒業し、誰もが知る日本の大企業に就職して旅立つ訳なので、笑顔で送り出してあげなきゃいけませんよね。本当にありがとう! でも実は…東京での研修を終えて希望の大阪勤務になれば、土日は当院にバイトに来てくれるかも…と言うのでちょっと期待しています…(^_-)-☆

B君は英語もペラペラでフランス語もできたので、モナコの国際学会にも2回同行してもらいました。荷物持ち兼通訳で活躍してくれた記憶があります。韓国の研究会に一緒に行った時は自宅にも招いてもらったり、お母さんや妹さんが日本に来られたりして、家族ぐるみの付き合いでした。人手不足の折にはB君の友達をアルバイトに連れて来てくれたり、本当に当院に貢献してくれたと思います。今後もいい関係を続けられたらいいなぁと思います。

もう一人、B君ほど長くはないのですが去年からクリニックに勤めてくれたKiさんも結婚退職する事になりました。Kiさんは中国籍ですが、両親の仕事の関係で幼稚園から高校まで日本にいたので日本語はペラペラ。おまけにドイツにも留学していてドイツ語も英語もペラペラという秀才です。何でもよく知ってるのでB君が「博士」とあだ名を付けていました。KiさんとB君は仲がいいからかよく喧嘩していたので、2人がいなくなると静かになって寂しい気がします。KiさんがB君に「失礼なやっちゃ!」「あっち行って!」と、よく喧嘩を売っていたのが懐かしく思い出されます。

さて、春と言えば出会いの方はなんと言っても「入学」ですよね。ちょっとお年を召した方なら絶対ご存知と思いますが、「一年生になったら…一年生になったら…友達100人できるかな…100人で食べたいな富士山の上でおにぎりを…パックン パックン パックンと」って歌ありましたよね。これって昔はランドセルメーカーの陰謀か「小学一年生」という雑誌を売るために小学館が仕掛けてたのか知りませんが、必ず春になるとどこかで聞いたものです。

ちょっと気になってネットで調べてみると、なんとこの曲は太平洋戦争の頃からあったそうですが、何年に作られたかは不明なのだとか…。それ以外にも、この曲はなんだか疑惑が多いようです。作詞者のまど・みちおさんは「ぞうさん」などの童謡の作詞家としても有名なんですが、作曲者の山本直純さんは1932年生まれなんで戦時中は9歳から13歳となり、作曲者として作品を世に出すにはあまりにも早すぎなんじゃない? というのも疑惑の一つ。

そしてこの曲最大のミステリーが「人数が1人足りないがどこに行ったのか?」という疑惑です。え? なんの事? …って分かりませんか? 実は友達が100人いるのだから自分を合わせると101人が富士山の上でおにぎりを食べているはずなのに、実際に食べている人は100人なんで1人合わないのです。これが「一年生になったら…で消えた1人のミステリー」です。この事について色々な人がそれぞれの解釈を述べられていて、それぞれが面白いので、興味ある方はネットで検索してみてください。いくつか面白いのを紹介すると…

1.彼女になった

登っている最中に恋が芽生えて、友達から彼女にランクアップしたというふざけた展開。だから友達100人で登ったけど、友達から彼女になった子が1人いるから、おにぎり食う頃には友達は自分含め100人しかいないよって事。戦時中にそんなマセたガキがいたのか?

2.宗教の違いでおにぎりを食べられない

友達100人そして自分も富士山の上まで登ったものの、1人だけ宗教の問題からおにぎりが食べられない子がいた。まぁ…豚肉入りのおにぎりだったらあり得るかも。

3.生きているのは1人だけ

富士山の上というのは、実は天国の事。つまり、富士山の上でおにぎりを食べている100人はすでにあの世の人であり、1人だけ生き残ったからこそ、数が合わないように感じたのだという話。…怖ぁ!

そして最もエキセントリックなのがこれ。

「この歌が流行りだしたのは戦時中である。疎開先で子ども達は食べるものが無く、空腹は限界だった。その中に1人、足が悪い子どもがいた。どうせ日本の役にたたないと判断した子ども達は足の悪い子を殺し、その肉を食べ飢えを凌いだ。しかし、子ども達は人肉の味に感動した。子供たちは美味しいもの=おにぎりとしか知らなかった為、この人肉にもおにぎりと命名した。おにぎりの美味しさに感動した子ども達はこの曲を作って残したと言う」

…なんじゃ! それは! もはや解釈を通り越して新たなホラー創作の域に入っているじゃないですか。まぁ…それはそれですごい才能なのかも。私はそのミステリーより、もっとこの歌を思い出すと気になる事があります。それは「そもそも友達が100人もできる訳ないし…って思ってたら現代になってSNSが登場し、Facebookの友達に何百人も登録されている人が沢山出てきちゃった…」って事です。

自分が小学生の当時を思い出すと100というのは現実離れした特別な事を表す為の数字だったように思います。何かあった時「じゃぁ100万円賭ける?」ってよく言ってましたが、ハイパーインフレ時代のドイツマルクでもあるまいし、小学生が100万円を賭ける事ができる訳もなく、100という数字は何かを「超越した」時に使う象徴なんですよね。

つまりこの歌で「友達100人できるかな?」というのは小学生になる子供にとっては現実を超越した何か夢物語の世界であった訳です。それは小学生だけでなく、普通の大人だって友達が100人もいる人はそうそういないはずです。勿論、Facebookの友達リストが100人を越えている人だって、現実の世界で友達が100人以上います…なんていう人はほぼいないと思うのです。

でも昔だったらリアルな友達にしか言わなかった旅行の思い出とか、美味しいお店を見つけた話とかを、ネットを使って実際に何百人にもシェアしている訳ですよね。さらにSNSって同世代の友達だけでなく、親兄弟や会社の上司とかもシェアしている人も多いので(会社の上司が友達申請をしてきて断るのも悪いと思って許可したとしても…(^^;)「自分の思いをシェアするのは友達」という定義で言えば、本当に「友達100人できるかな?」は現実の世界になってしまった訳です。それに富士山でおにぎりをパックン パックンってやっているのはもしかすると富士山の頂上の下には雲が広がっていてその上で100人の友達が楽しく日常をシェアしているのであれば、まさにクラウドの上に展開されるSNSじゃないですか!!(ま…さすがにこれは解釈の飛躍か…。)

まど・みちおさんが「友達たくさんできるかな?」って歌詞にせずに「友達100人できるかな?」という歌詞にした才能には本当に敬服します。この小学生が「友達100人できるかな?」っていうのはすごく象徴的でいいですよね。(その後の消えた1人のミステリーはともかく…(^^;)さすが「ぞうさん」の作詞家です!! そう言えばこっちも「ぞうさん、ぞうさんお鼻が長いのね。そうよ母さんも長いのよ」…って、う~ん。なんだか分かったような分からないような…意味が深いのかよく分からない。一体何が言いたいのか? もし母さんが短かったらどうなるのか? 母さんも長いって事をあえて聞かせようとしているのか? 童謡って解釈の余地がふんだんにあるというのがまたいいところなんでしょう。

話は変わりますが、当院も春は別れだけではありません。出会いの方は、巣立っていく2人に代わって活躍してくれそうな、中国籍のKa君とKyuさんが来てくれました。Ka君は日本語はあまり上手ではありませんが、数学が得意なのでポストB君の役割を果たしてくれそうです。そしてとても優しくて気が付くので他のスタッフからも大人気。Kyuさんは3月に中国から直接来た人ですが、福建省一の大学卒で、当院の採用試験過去最高点の優秀な人材なので期待大です。

それから、久々の日本人の新人も入りました! 大学卒業後、1年間カナダで働きながら英語の勉強をしたというガッツのある子です。3年前からいてくれているNちゃんが教育してくれるので、新人もすぐに育つと思います。入れ替わりの時期には皆様に少しご不便をおかけするかもしれませんが、できる限りご迷惑をおかけしないように頑張りますので、皆様も暖かい目で見守っていただければと思います…<m(__)m>。

ところで、このまど・みちおさんという方、1994年に児童文学のノーベル賞と言われる国際アンデルセン賞・作家賞を日本人で初受賞し、104歳で大往生されたそうです。 「ぞうさん」についてはご本人が下記のように解説された記録が残っているので引用させていただきます。

「ぞうの子は、鼻が長いねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代わりに、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って答えた。それは、ぞうがぞうとして生かされている事が、すばらしいと思っているからです。だからこの歌は、ぞうに生まれて嬉しいぞうの歌です。目の色が違うから、肌の色が違うから、すばらしい。違うから、仲良くしようという事です」

実は先に記載した韓流B君から、「このままクリニックに就職するという選択肢も考えていいですか?」と言われた事がありました。その時はすでに大企業のN社に内定が決まっていたにも関わらず…です。普通に考えると、優秀な頭脳を持ち、国立大学を卒業して大企業に就職が決まるような人が、そんな事を考えてくれるなんてあり得ないじゃないですか? 数人のスタッフでなんとかカツカツ運営している「ちっぽけ」なクリニックに、実現しなかったとは言え「このまま就職を考えもいいですか?」と言ってもらえた事は、私にとって大きな喜びでした。

ぞうさんがぞうである事を誇りにしたように、私も「ちっぽけ」は「ちっぽけ」なりにクリニックを精一杯運営している事に誇りを持って、これからも生きていきたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。