第157回 (2016年4月)「とあるフレンチに行って感じた事」

  

こんにちは! 柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。もうすぐ春というのに、まだ寒くなったり暖かくなったりが続いて風邪が流行っていますが、皆様体調は大丈夫でしょうか? 私はと言えば・・・何かと忙しくてバタバタしている中で風邪がよくなったと思ったらまたぶり返し・・・という状態が続いていましたが、そんな中で久しぶりに再生医療の研究会に参加してきました。冬場は学会自体が少ない上、年末年始はあまりにもバタバタしていて学会どころではなかったんですが、少し落ち着いた時に送られてきた「再生医療産業化展」の招待状がふと目に留まりました。再生医療と言えば昨年忘年会に誘ってくださった、いつも元気いっぱいの京大再生医科学研究所教授のT先生。やはりここでも講演されるようです。再生医療産業化展はT先生の講演の前日も開催していたので、T先生に「前日から行かれますか?」とメールしてみると、「前日は再生医療研究会の学術講演会を主催しますので産業化展には参加しません。学術講演会は、再生研のいろいろな教授の話と今後のライフサイエンスに対する近畿経済産業局を含めた経産省の方針が聞ける良い機会であると思います」と学術講演会の資料を送ってくださいました。学術集会は翌日に迫っていたので当日参加可能かお聞きすると、「もちろん当日参加は可能です。本当は参加料金が必要ですが、T研関係者という事で行きましょう。受付で私を呼んでください」と連絡してくださったので、お言葉に甘えて参加する事にしました。



当日、京都の会場入り口でうろうろしていると「先生、こっちこっち!」相変わらず気さくに声をかけてくださる大きな声のT先生は健在でした。T研の関係者という事で無料で入れていただきましたが、後で分かったんですが講演会費は1日で3万円もしたそうです。(結構するもんなんですねぇ・・・。それだけのお金を取って主催できる実力がある先生だという事なんですが・・・。いつもすいません。)講演会は医工学フォーラム(医学部と工学部の合同集会のようなもんですな・・・)の特別学術講演会で、いろいろな分野の教授の講演と経済産業省・近畿経済産業局課長の特別講演で構成され、心臓や膵臓・皮膚・軟骨の組織再生に関する講演やT先生の細胞移植を支える生体材料技術の進歩に関する講演、経産局の「企業間の連携による医工連携の取り組みと再生医療の実現加速化について」の講演・・・と盛りだくさんの内容。休憩の度に、T先生は「どうですか? 楽しんでいただいてます?」と声をかけてくださいます。「ちょっと難しいけど、面白いです」と答えると「大丈夫、大丈夫。この辺にいる人で完全に理解されている人なんていませんから・・・」・・・(^^;)。T先生とお会いしてから3年近くが経ち、T先生の専門であるDDS(ドラッグデリバリーシステム=ゼラチンから作ったゲルに細胞増殖因子を混ぜて、体内で細胞増殖因子を徐々に放出させて細胞移植などの治療効果を高める方法)の講演も何回か聴きましたが、聴く度に技術の進歩が分かるのはさすがです。



そして講演の後、懇親会にもお誘いいただいて参加しましたが、T先生以外は知ってる人もいないな・・・と一人寂しくビールを飲んでいると、「おや?」見覚えのある顔が。年末のT研究室の忘年会で名刺交換した人達が来ているではないですか。T研究室には企業から共同研究に来ている人がたくさんいて、忘年会の一次会は200人もの参加人数になるそうです。私は忘年会には「いろんな人脈ができるから」とT先生に誘っていただいて、診療日だったので二次会から参加したんですが、それでも結構な人数でした。その中で数名の方と名刺交換をしたんですが、その人達も覚えてくれていたので一緒に飲む事に。T先生関連の会では美容関係のドクターなんかはまずいないので、「どうしてT先生と知り合われたんですか?」といつも聞かれます。そこで美容外科の研究会にT先生が特別講演に来られた時に私が発表したPRPの研究を気に入られて懇親会で盛り上がり、東京から京都まで「新幹線で一緒に帰ろ!」と連れて帰られて3時間、サイボーグを作りたくて工学部に入った事からDDSの講義まですごい勢いで喋り続けられた・・・という話をすると、いつもめちゃ盛り上がります。「それはそれは、ご愁傷様です。T先生っていつもそんな感じなんですよねぇ。喋り出したら止まらないでしょ?」その後、その人達と高濃度PRPの話で盛り上がり、特に旭硝子の若手研究員I君は興味を示してくれて「それは面白い! うちの会社でも高濃度PRP用の試験管とか作れるかもしれませんよ。上司に相談してみますね!」企業の若手研究者達は自社で開発できる製品のヒントが何かないかとT研究室に来ているので、常にアンテナを張り巡らせているようです。そんな研究者達との新しい出会いはとても楽しく、刺激になります。そこにT先生も来られて「えらい盛り上がってるやん! 先生、ここにはいろんな企業の人来てるからね。何か欲しいもんあったら作ってくれるとこあるから紹介しますよ!」「じゃぁ先生、電動の注射器が欲しいです」「あ、そしたらここの会社! ここに聞いてみたらええんちゃう?」と、どんどん人脈が広がっていきます。とても勉強になって楽しい会でした。



話は変わるのですが、先日超久しぶりに昔仲良かった大学の後輩と再会する機会がありました。先日の通信にも書きましたが、去年大学の卓球部の後輩が3人揃って教授になったのでOB有志で御祝いを贈ろうという事になり、その幹事をしたためにバタバタの年末年始でしたが、そのお蔭で久しぶりの後輩とも連絡を取る事ができたのです。長年誰とも連絡を取らず、行方不明と思われていた後輩とも連絡が取れ、その中の一人であるK君と20年ぶりの再会を果たす事ができました。K君は私が大学を卒業した2年後に入学してきたんですが、卓球が強かったのと見かけも性格も可愛かったので、私が可愛がっていた後輩の一人です。当時私は神戸の病院に勤務していましたが、病院内にも卓球部があり、病院の地区大会で準優勝して全国大会に出たりもしてたので、K君も時々神戸まで練習に来てくれたりし、その度にご飯に連れて行ったものです。その頃は私もまだ若くてフレンチが大好きだったので、フレンチレストランにもよく行きました。K君は卓球はそこそこ強くてキャプテンもしていましたが、元来控えめな性格だった彼は、卒業するとぱったり卓球部に顔を出さなくなってしまったんです。最後に会ったのは私が卒後10年目の頃で、それ以降は音信不通になり同級生も連絡が取れなくなってしまいました。今回の教授就任祝いの件では数人の後輩が幹事を手伝ってくれて、大抵は同級生に聞くと誰かがメールアドレスくらいは知ってるんですが、K君は同級生でも誰も連絡先を知らなかったので、彼が入局した大学の放射線科の医局の秘書さんに現在勤めている病院を探してもらって、やっと居所を探し当てました。そうして電話してみると、懐かしい声が。「いや~、先生、お久しぶりです!! よくここが分かりましたね~!」「医局の秘書さんに探してもろてん。卓球部では行方不明状態になってたから・・・」「ええ?! そうなんですかぁ?!」 ひとしきり昔話に花が咲き、教授就任祝いの件を告げてからまたご飯に行こうという事になり、後日K君からメールが来ました。



「柴田先生へ メールとお電話ありがとうございます。先日は久しぶりにお話できてとても楽しく、元気が出ました。先生はお変わりがないようで、卓球をしていた頃の事を思い出しました。教授になった部員のお祝いを先生が取りまとめておられ、これも昔と変わらないなあと思いました。お忙しい中、本当に大変な事だったと思います。ありがとうございました。それにしても、大変ご無沙汰して申し訳ありませんでした。勉強するのはそれほど嫌ではなかったので、学生時代はまあまあやれていたのですが、あまり人付き合いが得意ではない事もあり、なかなか仕事では苦労していました。というか、今も苦労しています。そういう事もあり、同級生や卓球部の人とは全く付き合いがなくなってしまいました。行方不明と思われていたとは知りませんでしたが(笑)。お食事お誘いくださり、ありがとうございます。あの時はよく分かっていなかったのですが、先生のクリニックは土日もやられているのですね。(HP拝見しました。素敵なクリニックですね。先生のセンスの良さを感じました。良心的な診療をされている事も、とても伝わってきます。他のクリニックに潜入、体験するブログが面白かったです!)私は、平日と土曜は通常の勤務と時々夜診をし、帰宅してからは遠隔読影会社と契約して、家で読影をしています。遠隔読影は今会社の経営が厳しいようで、限られたスタッフで仕事を回すため、休みを取るのが難しい状態です。年が明けたら少しは休みもとれるのではないかと思っています(潰れているかもしれません、笑)。そのため、お食事は年明け以降にさせていただければと思います。その際にはまた楽しいお話聞かせてください。 K」・・・う・・・ん。なんだか嬉しいメールじゃないですか!




年が明けてから、昔一緒に行った懐かしのフレンチに行こうと計画を立てましたが、K君と行ったお店は30年の歳月を経てほとんどなくなっていたので、新たにお店を探す事に。しかし最近はフレンチにほとんど行っていなかったので、いいお店を思いつきません。思いつくのは15年ほど前によく行っていたフレンチPくらい。Pは私が開業する前からお気に入りだったお店で、当時は今より狭いお店でしたが料理は抜群でした。赤ピーマンのムースやホワイトアスパラのババロアは絶品でコスパも良く、シェフもその頃は若かったのでいろいろ我儘も聞いてくれたし、メニューも季節毎に変わっていました。2004年のクリニック通信第12回にK氏が登場し、その時に行ったレストランがこのPです。当時の通信を読み返してみると「そこで私が神戸で一番気に入っているフレンチレストランにでかける事になりました。(残念ながらこのレストランは私のお気に入りNo.1で、暇で?静かなところも気に入っているので、お店の名前を出すのは控えさせていただきます。宣伝できなくて、地味なシェフには悪いのですが・・・。皆さんにもそんなお気に入りのお店があるでしょう?)」と書くくらいお気に入りだったんです。当時は雑誌なんかでも神戸のフレンチと言えば必ず取り上げられてたし、ジャン・ムーラン亡き後の神戸フレンチを継ぐ新星だと誰しも思っていたと思います。



ところが人気が出てお店が手狭になり、6年位前に現在の広い店に移転しました。ガチミシュラン友里氏の辛口批評に挙がる「大箱のフレンチに美味いとこ無し」のジンクスを破ってくれると期待していたのですが・・・。移転してすぐの頃は何度か通ったのですが、明らかに料理が出るのが遅くなってメニューも変わり映えしなくなり、ついにはアラカルトもなくなってしまったので、足が遠のいてしまいました。昔はよく作ってくれた赤ピーマンのムースもホワイトアスパラのババロアも手間がかかるのでしんどいと言って作ってくれなくなり、最後に電話した時はソムリエのOさんが「もうコースだけになってしまって柴田さんのお気には召さなくなったと思います・・・」と寂しそうに言われていたのを覚えています。そのソムリエOさんの名刺の肩書にはメーテルドテルって書いてました。なんだかよく分からなかったんでフランス語に詳しい友人に聞くと「何? メーテルがどうしてる?ソムリエさん? あぁ・・・メートルゥ・ドゥ・オテルの事ね! 給仕責任者の事だね」ってドヤ顔で言われた事があったな・・・^^;)。そんな事で何年も行ってなかったのですが、神戸の他のフレンチはもっと分からないので、もしかしたら最近は復活しているかもしれないと思って電話してみました。するとメーテルドテルのOさんはもうお店を辞められたとか・・・。代わりにマダムが出てきて、コースしかありませんがお席は空いています、との事。最近はどんな料理があるのか聞いても、その日の食材の仕入れによるので・・・と、教えてくれません。(フレンチレストランってマダムがネックだとよく言われますが、どこもそのようです。フレンチに限らず神戸鮨の金字塔N屋もマダムがネックでしたが・・・。)相談してまた電話します、と一旦切ったものの、他のお店が見つからず、結局Pに行く事になりました。



当日はK君がクリニックを見学に来て、昔話で盛り上がってからPへ。土曜日というのに店内はがらんとしていて客は私達一組だけ。あまりにも閑散とした店内にびっくり。そして席に着き、メニューを見て二度びっくり。なんと10年前とメニューがほとんど変わっていないのです。コースは3種類のみで、ちょっと美味しそうなものが入ってるのは1万円のコースだけ。お肉は選べます・・・と言うものの、2人で同じものを頼まないといけないとの事。料理って別々のものを頼んでお互いに交換しながらあれこれ談義するっていうのが楽しいじゃないですか。その楽しみを奪うのはいかがなものか? 友里氏だったらここで「全く客の事を考えない仕様で使い勝手の悪いフレンチ。土曜日の夜というのにお客が私達だけという事がすべてを物語っています・・・」と、ばっさり切られてしまうでしょうね。でもまぁ、せっかくK君が久しぶりに神戸に来てくれたんだから・・・と、1万円のコースを頼む事にしました。それでも20年分の話が溜まっていたので話は弾み、サーブの遅いのは以前ほど気になりませんでしたが、よく考えるとこれって私達しかいないのに、この速度が精一杯なの?K君は「これからは放射線の技術はすごく進歩する」と読んで放射線科に進んだそうで、その読みは当たってたんですが、技術が進歩して仕事は卒業当初の4倍くらいに増えたけど、給料はほとんど増えなかったとか。まぁ大学の関連病院って、安月給のところが多かったですからねぇ。K君の歩んできた道や私の開業の経緯、卓球部の他の人たちや教授になった3人の話・・・などで、あっという間に時間は過ぎてしまいました。料理は変わり映えはしないものの昔通りでまずまず美味しく、久しぶりのK君との時間はとても楽しく過ごす事ができました。



久しぶりの訪問に帰りがけはシェフも出てきてくれて、少し立ち話をした後に帰路に着いたのですが、やはり全盛期のPを知っているだけになんだか一抹の寂しさを感じました。あの勢いはどうしちゃったのかなぁ。オープンしたての頃は新進気鋭で雑誌なんかにも登場して勢いがあったのに、数年のうちに「普通」になってしまうお店って多いですよね。人間ってそれほどパワーが続かないのでしょうか。お店にも人間と同じ「老い」があって、それから逃げる事はできないのでしょうか? もしそうだとしても、せめて「素敵な年の取り方」くらいはあるんじゃないかな・・・って思います。私の知っている限りでは開店から閉店まで第一線を突っ走って他者を寄せ付けなかったのは、神戸ではやっぱりジャン・ムーラン位しかなかったように思います。オーナーが年を取ったとか、経営が上手くいかなくなったという理由以外で、現役のシェフが引退宣言をしてお店を閉じた事が話題に登るというのも、この店位じゃないかな。以前の通信でも紹介しましたが、このシェフが引退するに当たり雑誌のインタビューでこう言ってたのを思い出します。「結局一流のお店を維持できるかどうかって、休みの日にそのシェフがどう過ごしているかで決まると思うんです。休みの日こそ他のフレンチレストランを食べ歩き、常に情報を仕入れて新しいものを学ぼうという姿勢がない人は、多かれ少なかれこの世界から消えて行きます」と。やっぱり新しいものを取り入れたり、改良や進歩もなく、客の事を考えない店は衰退するものなんだなぁ・・・。こういうふうにならないように気をつけなきゃ・・・と考えさせられた一日でした。やっぱりT先生のようにいつまでもエネルギッシュで、常に進歩していないといけませんね。私も頑張るぞ! と心を新たにしたのでした。せめて「素敵な年の取り方」は実践しないとね・・・と思います。