第87回 (2010年06月) 「40にして惑わず」

  

こんにちは! 柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。5月は暑かったり寒かったりの変な気候でしたが、やっと新緑の心地よい季節になってきましたね。皆様は連休はいかがお過ごしでしたか? 私はと言えば、連休はいつもなのですが遠出はせず、大阪で行われた後輩達の卓球の試合を見に行ってきました。以前のクリニック通信にも書きましたが、私は大学時代卓球部で、自分で言うのもなんですが医学部の中では結構強かったので、卒業後も後輩達の練習の指導に行ったり、試合の応援に行ってアドバイスしたりしていました。今も新入生歓迎コンパと卒業生の追い出しコンパには必ず顔を出しているので、仲の良い後輩がいろいろな世代に渡ってたくさんいます。いつもは試合を見に行った後は現役の学生を食事に連れて行くのですが、今年は試合のレセプションが私の行ける日と重なってしまって学生と食事に行けなかったので、OBに声をかけてみました。するとすぐにOBが数人集まり、試合の後は久しぶりのOB会をすることに。そうそう、今年は久しぶりに決勝戦まで見たのですが、見覚えのある名前だなーと思ったら、決勝を戦っていたのはうちの患者様のお嬢さんでした。世間は狭いですねー。

 


さて試合が終わって、後輩たちと久しぶりに梅田に繰り出しました。最近は大阪グルメはほとんどしなくなったので、試合の数日前に大阪の病院に勤務している後輩Sにメールして、店を探しておくように命じておいたのです。(体育会系なんで卒業しても上下関係は厳しいのだ。)Sからは「いい店知らないんですが、なんとか探してみますm(_ _)m」と返事が来ました。怖い先輩の命令なので、それから彼なりに必死で探したようで、当日Sはお店のネット情報を何枚か印刷して握りしめて来ました。

後輩S:「すいません、僕あんまりいい店知らなくて・・・。
      なんせ夜はほとんどコンビニ弁当なんで・・・」
彼は卒後5年目の内科医です。(一応医者してるんや・・・。)もうすぐ30歳になろうとしていますが、医者の5年目なんてまだペーペーなんで、毎日遅くまで働いて、コンビニ弁当というのはごくごく普通の事。

柴田: 「まあ5年目やったらそんなもんやろなー。 ほんでどっか良さそうなとこあった?」
後輩S:「ハ、ハイ、先生が和食がいいって言ってはったんで、一応ここ予約したんですけど・・・」
柴田: 「えっ、ここ? これ神戸にもあるチェーン店やん。1週間前に行ったとこやわー!」
後輩S:「えーっ、そうなんですか?? す、すいません!! でも他の和食のとこはみんな
     いっぱいで・・・」
柴田: 「うーん、しゃーないなー・・・」



お店に着いてメニューを見ると、神戸店とほぼ同じ。(そらそうか・・・。)さすがにあんまり食べたいものがありません。それに店員の対応が遅くてイマイチ。
柴田: 「和食以外やったらどっかあったん?」
後輩S:「あ、イタリアンなら・・・」

彼がそろえて来た資料を見ると、昔何回か行った「ブルディガラ」が。
柴田: 「あ、ここ、懐かしー」
後輩S:「先生行かれたことあるんですか? ここ有名やから行ってみたかったんですよねー」
柴田: 「あ、そしたらはしごしよーよ」
後輩達:「え、はしご、すか?!」

・・・という訳で和食とイタリアンをはしごしてしまいました。ブルディガラはまずまずで、後輩達と昔話に花が咲き、楽しい連休を過ごす事ができました。

 
 



さて後輩達との飲み会から帰ると、一通のFAXが届いていました。読んだ途端、「え??」 
 なんと、第31回日本美容外科学会(JSAPS)総会の会長K先生からで、10月に開催される学会のPRPのパネルディスカッション(あらかじめ選ばれた論者=パネリストが発表の後公開討議を行う討論会)のパネリストをしてくれないか・・・とのこと。よりによってJSAPSからとは驚きです。…と言うのも、日本には「日本美容外科学会」という同じ名前の違う学会が2つあるのですが(英語ではJSAPS=Japan Society of Aesthetic Plastic SurgeryとJSAS =Japan Society of Aesthetic Surgeryと違うのですが紛らわしい・・・。美容形成外科と美容外科、ってところですかね・・・)、JSAPSの方は「我こそは正統派だ!」と主張しているような学会だからです。JSAPSの正会員には形成外科学会の認定医(日本形成外科学会が認める医療研修施設において形成外科に関わる研修を受け、所定の専門医認定試験に合格した医師)でないとなれないそうで、関連の会員でも入会審査が厳しく役員の推薦も必要で、学会に参加するだけでもいちいち経歴書を送って学会長の許可を得なければ参加できないというお堅い学会です。私が美容医療を始めた頃に聞いた話によると、昔は胡散臭い美容外科医が多くて危険な治療を行っているところもあったので、真面目で偉い先生方がきちんと勉強やトレーニングをしている美容外科医の集まりを作ろうとして作ったのがJSAPSなんだそうな。それで入会規定を厳しくしたそうですが、私は元々整形外科の出身で、日本整形外科学会の認定医は取りましたが、形成外科学会の認定医は取っていないのでJSAPSには入会していません。整形外科の認定医制度ができたのは私が医者になって5年目くらいの事で、試験に通ってさらに資格を維持するために学会に出て単位を取らないといけなくなり、単位を取るのもお金がいるので学会が儲けるためなんじゃないかと思っていましたが、後々になって医者にもいろいろな人がいてきちんと勉強する人ばかりではないという事が分かり、大勢いるとこういう制度も必要なのかなあ、と思ったものです。



・・・と説明が長くなりましたが、通常は学会に入会していないと普通の発表(一般演題と言います)もできず、パネルディスカッションのパネリストと言えばその分野にかなり精通している人が選ばれるので会員以外から選ばれる事はほとんどないのです。それに私は形成外科の出身ではないので形成外科や美容外科の分野には知り合いは非常に少なく、学会関係ではPRP友達のM先生くらいです。いったい、学会長のK先生にどこから情報が入ったんだろう? M先生に聞いても分からず、M先生もびっくり。

M先生:「へー、どこから情報入ったんでしょうね。でもあの
     学会って、講演依頼されても学会費は取られるみたいですよ」
柴田: 「えー、ほんとですかー? 会員でないと学会費高いから今年はやめようかと
     思ってたのにー」
M先生:「K先生に聞いてみたらどうですか? 会員じゃないんですけど…って」
そこで学会長のK先生に電話してみました。




PRP

柴田: 「FAXをいただきまして、ありがとうございます」
K先生:「突然すみません。先生には是非パネリストをお願いしたい
     と思いまして…」
柴田: 「・・・なんで私ですか・・・?」
K先生:「京都のH先生がACR研究会での先生の発表を聞いて、
     PRPの濃度の話が大変興味深かったって言ってたもんです
     から、先生のホームページを拝見したんですよ。いやあ、
     先生のホームページはアグレッシブで素晴らしい!
     特にPRPの濃度の話は新鮮でした。PRPは自分でやっても
                                            なかなかうまくいかないもんですから・・・」
柴田: 「へー、ホームページ見ていただいたんですね。ありがとうございます。
     でも、私は美容外科学会の会員ではないんですが・・・」
K先生:「会長が許可すればOKなんです! 私会長ですから」
柴田: 「でも学会費は払わないといけませんよね?」
K先生:「いやいや、払っていただかなくても大丈夫です。学会には招待しますよ」

やった! その上K先生は、JSAPSに入会できるように推薦してくださるとか。これからどんどん学会発表をして、PRPの第一人者になれるよう、頑張らないといけません。こんなお堅い学会の会長に認められたなんてちょっと嬉しい感じ。整形外科時代は神経移植の研究やTFCC(手首の軟骨)の新しい手術法の臨床研究で学会発表を毎年のようにしていたのに、美容医療に転向してからしばらくは学会活動から遠ざかっていたのですが、ここに来て地道な研究が実を結び、やっと道が開けてきた感じです。




ところで、卓球の試合の後の後輩たちとの飲み会の時、「30にして立つ、40にして惑わず」という言葉が話題になりました。昔の話をして懐かしんでいる時、35歳になろうとしている後輩Fが
後輩F:「そう言えばあの頃の先生の年に僕もなったんですね。年の
     経つのは早いなあ。でも、昔やったら『30にして立つ』です
     よね。先生はもう独立されて自分の道を進まれてますけど、
     僕なんかずっと勤務医やし、まだまだ自立できてませんね・・・」
後輩S:「僕ももうすぐ30ですけど、そんなん程遠いすよー。でも、
     それってめっちゃ昔の話でしょ。人生50年の頃の話やから、
     今よりも早いんちゃいます?」
後輩I:「それに孔子と僕らではできが違うんちゃう?
     僕なんか40になっても 迷ってばっかりやわー」
ひとしきりこの話題で盛り上がったのですが・・・これは皆様もよくご存知の、孔子の「論語」に出てくる言葉ですね。「我10有5にして学に志し、30にして立つ、40にして惑わず、50にして天命を知る、60にして耳に順う、70にして心の欲するところに従いて矩(のり)をこえず・・・」現代語に直すと、「私は15歳で学問に志し、30になって自立し、40で迷いがなくなり、50で天から与えられた使命を悟り、60で人の言葉を素直に聞けるようになり、70になると思うがままにふるまっても行き過ぎがなくなり道を外れないようになる」というところが一般的な解釈のようですが、古典って、いろいろな解釈がありますよね。それぞれの立場でさまざまな解釈ができるのが古典の面白いところではないでしょうか。



この孔子の言葉にしても、
30にして立つ・・・と言っても、独立する・自分の考え方を持つ・自己を確立し、自立する 40にして惑わず・・・というのも、迷いがなくなる・考え方を確立させる・何に対しても迷うことなく対処できるようになる・・・など、少しずつ違う解釈の仕方があります。 これを研究者の道に当てはめて私なりに解釈してみると、


15にして「志学」:研究者の道を志し、まず学ぶ。先人の知識を検証する。
30にして「而立」:やっと自分の研究テーマをみつける。
40にして「不惑」:独自の方法を確立する。
50にして「知天命」:自分の行うべき研究の使命を知る。
60にして「耳順」:人の説も素直に聞けるようになる。
70にして「従心」:思うがままの研究をしても道をはずれない。
・・・というところでしょうか。それにしても研究も学問も、大変な時間がかかるという事ですよね。その道を志して先人の知識を検証するだけでも15年、やっと自分の研究テーマを見つけ、独自の方法を確立するのに10年、自分の行うべき使命を知るのにまた10年かかるということです。はたしてその境地に、生きているうちに到達できるのでしょうか。



孔子は紀元前5世紀頃の思想家なので、その頃の平均寿命は40歳から50歳くらいだったのではと思われます。1900年頃の日本人の平均寿命が50歳くらいだったので、そのはるか昔で、文明の力で飢餓や災害を乗り越えられなかった時代と考えると、当時の平均寿命は50歳以下であったことは確実でしょう。しかし孔子は74歳まで生きています。それは孔子が名家の出身で栄養状態も良く、当時にしては例外的に長生きだったのだと思われます。その長寿の天才をして「我15にして学に志し、30にして立つ、40にして惑わず、50にして天命を知る」・・・だという事は、普通であればそれまでに寿命がつきてしまっています。つまり、ほとんどの人は何かを志したとしても天命を知るまでに死んでしまい、人の意見を正しく聞けるようになるまで成長する事はほとんどないと言えます。まさに「人老いやすく学成り難し」ですね。

従って、普通は研究を志し、その世界にまい進しても、膨大な知識の片鱗に触れるのが精一杯で、せいぜい「不惑」まで到達できればラッキーではないかと思います。しかし、そうなると真理への道はあまりにも遠く、一生かかっても進歩はないのでしょうか? 実際はそうではありません。それは、誰もがゼロからスタートする訳ではなく、先人が残した土台の上からスタートできるからです。そして先人の残した土台を少し積み上げて次の世代に渡す事が研究者の使命であり、それが科学の進歩に繋がるのだと思います。ですから私も、多少なりとも研究成果が出た場合は、先人の残した土台を少しでも積み上げて次の世代に渡し、美容医療の進歩にわずかでも貢献するために、今後の学会活動に取り組んでいきたいと思っています。一人でできる事は限られていても、3人寄れば文殊の知恵。そして、それが世代を超えて受け継がれていくのであれば、孔子の「70にして心の欲するところに従いて矩をこえず」には至らぬとも、「天命を知る」には近づいたと言えるのではないか・・・と思います。