第151回 (2015年10月)「時代が変われば・・・」

  

こんにちは。柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。最近は急に涼しくなりましたね。季節の変わり目ですが皆様風邪などひいておられませんか? 私はと言えば・・・この夏は西日本医科学生卓球大会(西医体)という試合が京都であったので、2年ぶりに応援に行って来ました。今年の前半は母の看護で卓球や運動は全くしていなかったんですが、6月に久しぶりに大学の卓球部の新入生歓迎コンパに行って、ちょっとだけ卓球もしたらめちゃ楽しかったので、味をしめてしまいました。春の大会に行けなかった分西医体の応援に行こうと思い、大学のある京都だったら卒業した後輩達も来るかもしれないと思って、後輩を誘って飲みに行く計画も立てました。しかし計画を立てた後から猛暑が襲ってきたので、ただでさえ暑い京都の体育館で熱中症にならないかめちゃくちゃ心配になって来たんですが、試合はちょうどお盆にあり、その週から少し暑さが和らぐという天気予報だったので、予報が当たる事に望みをかけてその日を待ちました。いつもは試合の応援に卒業した後輩達を誘うと卒後間もない後輩しか来ないんですが、今年は卒後20年以上経つ後輩も来てくれる事になり、久しぶりの再会を楽しみにしていました。




さて、試合当日。猛暑は少し和らいだものの、お盆の真っ最中だという事を忘れていて、新幹線がダダ混み。「しまった!」いつもは自由席で十分なのに、指定席を取らないと座れません。何とか京都まで行って体育館に辿り着くと、なんと体育館はめちゃ冷房が効いて涼しいではないか!! いやぁ・・・時代が変われば変わるもんです。私達が学生の頃は体育館にクーラーなどあるはずがなく、卓球と言えば風が吹くとピン球が流れるので窓は閉め切って黒いカーテンを閉めるので、地獄のような暑さの中で行ってたもんです。まぁ・・・熱中症になるかという暑さの中でカーテン閉めて試合するなんて、今考えればありえないような気もするのですが、当時はそれが普通だと思ってましたし、なんだかその環境の中で勝ち抜く「ど根性」こそが賞賛に値すると思われていた風潮がありました。今の若い人に「巨人の星」とか「あしたのジョー」なんかを見せたらギャグ漫画に見えて、きっと笑っちゃうんでしょうねぇ。先日Yahoo!ニュースを見てたら、次期東京オリンピックが猛暑の季節に行われるという事で「アスリート達の健康の事を考えてないのか! けしからん!」と国会で噛み付いたのが、あの燃える闘魂アントニオ猪木さんだったというのも不思議なものです。猪木さんと言えば「星飛雄馬」を超えるど根性推進派と思いきや・・・暑さの中で頑張るアスリートの健康を心配してくださるとは・・・。いやぁ・・・時代が変われば変わるもんです。




そのうち、甲子園もドーム球場になって夏の高校野球は冷房の効いた涼しい環境で試合する事になるんでしょうか? 吹き出す汗をお母さんが渡してくれたハンカチで拭い、試合を勝ち抜いたというハンカチ王子の話もそのうち、レジェンドになるのでしょう。それはともかく、卒後20年以上経った後輩達と再会し(なんと彼らは試合の応援は卒後初めてで何十年ぶり、という単位だったらしい)、昔は体育館にクーラーなんかなかったよねとか、茶髪の子もいなかったよねとか、応援の仕方も変わったよね・・・とか感心しながら、昔話に花が咲きました。試合の方は、ここ数年はうちの大学は女子が強くて男子は下火、朝一番に行かないと男子は瞬殺されてしまう・・・という時代が続いてたんですが、最近は経験者(中学・高校で卓球をしていた子)が入部してきて男子も強くなってきたので、見応えのある試合が多くてとても楽しかったです。試合は3日間あるんですが、ここ数年は3日目に男子が勝ち残る事はまずなかったんですが、今年は結構勝ち残ったので、結局3日間とも応援に通ってしまいました。




試合後の飲み会は、1日目はダブルスのペアを組んでた4年下の後輩とフレンチへ。2日目は7年下の後輩と研修医の後輩達と居酒屋へ。フレンチに行った後輩とは学生時代は大の仲良しだったんですが、彼女は私と違って女らしい性格だったので、めちゃ可愛くてもてそうだったのに「私先輩とちごて(?)今の彼氏と別れたら次ないから・・・」と謙虚に学生時代の彼氏と結婚し、子育てに追われていたので卒後一緒に食事をするのはなんと初めてでした。いくつになってもその謙虚さは変わらず、応援に行った時の体育館では彼女は持参してきたスリッパを私に貸してくれようとし、私が「裸足の方が楽やから」と断っても「先輩がスリッパ履いてはらへんのに私、よう履きませんから・・・何年経っても先輩は先輩やし」・・・と。 うん!うん!これでしょ・・・これ。私達のような「巨人の星」や「アタックNo.1」の時代に育った体育会系の古き良き時代の礼節ですよ・・・。それが「エースをねらえ!」くらいから少しおかしな方向に進んできました。大体あれはいけません。藤堂さんのナンパなイデタチと岡ひろみのほろ苦くも充実した学園生活、(明らかに「勝つ」事より恋が優先されてますよ・・・)そしてなんなんですかねぇ。あのお蝶夫人のゴージャスな生活スタイルは。その後に日本にやってくるバブル時代を先取りしてたんでしょうか? そう考えると「タッチ」はバブル崩壊後に来る低成長時代の「小さな幸せ」を追求してたのかな? いずれにせよ、時代が変われば変わるもんです。




・・・てな訳で、もう絶滅危惧種として保護されるべき後輩との再会は嬉しい限りです。食事中は、現役時代の試合の話とか、他校の子たちと合同練習と称しては飲み会してた事とか(その頃仲良かった他校の子の息子がうちの卓球部に入部したので、試合で彼女とも会い「わあ~! K君にそっくり!!」と盛り上がりました)、昔話に花が咲きました。彼女は学生時代の事をとてもよく覚えていて、「私が先輩のお誕生日にクッキー焼いたら、先輩すごい喜んでくれはったんですけど、後で先輩すごいお菓子作り上手なん分かって、私のいびつなクッキー喜んでくれはって優しい先輩やな~て思いました」「試合の時に先輩の実家に泊めていただいて、お母様にご馳走作っていただいたり、お父様に車で試合会場まで送っていただいたり、すごい楽しかったん覚えてます~」・・・。卒後一度だけOB戦に誘って卓球した事があったんですが、5年ぐらい前かと思ってたら実は15年前で、月日の経つのは早いな~と二人でしみじみ語り合ってしまいました。




そんな彼女に母の死を伝えた時の暖かいメールを(しつこいですが)紹介しますと・・・「しばんちゃ先輩(私の大学時代のあだ名)、メールありがとうございました。あの明るくてお優しいお母様がお亡くなりになったと伺い、とても淋しいです。先生のご実家に泊めていただいてお世話なり、お料理上手のお母様にご馳走していただいたり、お父様に車に乗せていただいて阪神高速を飛ばしていただいたり、とても楽しかったのが夢のようで、涙が出ます。本当に楽しいお母様と素敵なお父様で、さすが先輩のご両親だと思いました。お二人が先輩をとても可愛がっておられて、誇りに思っておられるのもとても伝わってきました。(それだけでもとても親孝行なことだと思います。)昨日の事のようですが、もう30年も前になるんですね。クリニック通信を拝見して、先輩が常に的確に対処され、一生懸命尽くされて何度も危機を乗り越えて来られた様子が伝わりました。本当にお忙しいのに力を尽くされて素晴らしいと思います。充分以上に尽くしておあげになったと思います。私は父が亡くなった時十分にしてやれなくて正直悔やむ気持ちがありますが(死ぬと分かってたら!もっとすぐに行ってやったのに!もっと強く治療に口出ししたのに!と思います)やっぱりこれが天寿だったんだと思っています。私の父も4月9日、良い時期に亡くなりました。本当にお母様は幸せを感じておられたと思います。天国でも、医師になった娘にこんなによくしてもらった、と自慢しておられると思います。とても残念ですけど、通信を読ませていただいて、素晴らしい人生を素晴らしいご家族に支えられて全うされたのだとよく分かりました。それと、これだけ重大な疾患を抱えながらこのお歳までお元気でいらしたのは本当にすごいと思います。先生がしっかりケアしてあげられた賜物だと思います。素敵な方だっただけにお淋しいと思いますが、きっと先輩の事を優しく見守っておられると思います。ご無理は禁物ですが、お元気を出されますようお祈りしております」うん!うん!うん! ホントに嬉しいよぉぉ。涙ちょちょぎれです。是非皆様のお力添えで、彼女を絶滅危惧種の対象に認定して保護してくださいね。




試合の翌週は高校の同窓会、その翌週は大学の整形外科の有志の会がありました。(なんか飲み会ばっかりしているように思われそうですが・・・。)高校の同窓会では、同級生の男子達は若返った私をわりとちやほやしてくれるので、いつもいい気分で帰って来れます。(美容やってて良かった・・・(^^)やっぱり男が見てるのは外見なのだ・・・^^;)ところが、整形外科の会では全く違います。こちらは絶滅危惧種どころか、地球に隕石が落ちてもしつこく生き残るようなコアなおっさん達ばかり。そして私はその中の紅一点のはずが、なぜか全く男扱い。飲みに行くと言ってもお姉さんがお相手してくれるスナックとかの類だし、話題もシモネタは勿論の事、お遊びの武勇伝の類なんかも全然平気です。あぁ・・・思えば私の不幸も、この整形外科の世界に入った事から始まったのかなぁ・・・^^;)。(それはまぁ冗談です。これはこれで楽しい世界なんですよ。)この有志の会は、後輩のT君が病気になってしまったので、少し回復したT君を囲んで久しぶりに仲良かった先輩後輩で集まって食事をしようという会でした。しかし最初は7人の予定が、大学の医局長をしているF君が当日急に仕事が入ってキャンセルに。(医局長っていうのは教授の小間使いみたいなもんなんで、「どうせ我儘なK教授に何か急に仕事を言いつけられたんだろう」とみんな哀れんでました。いまだに大学って白い巨塔なんですねぇ・・・。)もう一人O君も病気になって2週間の絶対安静を指示されたらしくキャンセルになり、5人の会になってしまいました。




集まってお酒を注文する段になり、大酒飲みだったH君が「あ、僕ノンアルコールで・・・」「あれ? どうしたん? 車?」H君が飲み会に車で来るはずがないのでみんなが不思議がると、H君はニコニコしながら「一生分飲んでもて、肝臓いわしてもうてん。一時精神的に荒れてね・・・。浴びるほど飲んでたら、γ-GTP(肝機能を表す検査値)が3000超えてしもて」「えーっ!?? 3000???」医者仲間もびっくり。γ-GTPの正常値はだいたい10から50で、いくら悪くても1000を超える人は見た事がありません。そう言えばH君はストレスに弱く、一緒の病院に勤務していた時も、周りの医者が変な奴ばっかりだったので「飲まなやってられっか~い!」を連発してたなぁ・・・。しかし7人中3人が大病を患ってるなんて、まさしく医者の不養生ですよねぇ。(会の後半で、「やっぱりみんな検診には行きましょう・・・」という事になりました。忙しくて行く暇もないのが現状なんですが・・・。)そんな中、60歳を過ぎた先輩のO先生が一番元気で「今日もゴルフ、ワンハーフ(1ラウンド半)回って来たわ!」・・・いつも若い先生達と遊んでるからかな?(そして皆様、この写真の中で誰が一番若いと思います? ・・・実は白髪の爺のようなK君が一番若いんです! いつもニコニコしてるけど、苦労してるのかなぁ? やっぱり白髪とハゲの研究はみんなのために進めなきゃ、と改めて思いました。)




まぁそんな典型的な男社会の整形外科から私のような美容に転身する医者が出てくるのも時代が変われば変わるもんだ・・・の典型なのかもしれません。私のいた頃の医局と言えばすごい縦社会でして、医局の離脱は医者失格の烙印を押されるような雰囲気でした。ましてや美容の世界に行くなんて言ったらもう「破門」されてもおかしくないという感じ。今では医局に入るのも出るのもかなり自由になって来たようですし、理不尽な先輩からの要求に我慢するという風潮も少なくなったと聞いています。そんな時代の変化の中で、かつての盟友である整形外科の諸氏も単なるおっさん達ではなく、時代に合うように努力していました。私のように旧世界から飛び出してしまうのも変化ですが、そこに残って時代に合うように色々な事を改善し続けるというのも変化なんだと久しぶりに会ったみんなと話をして痛切に感じた次第です。そんな古き時代の盟友の一人から後日電話が・・・。「あのなぁ・・・最近な・・・俺の目尻のシワと頬のたるみ、ひどなったと思えへん? これってお前んとこ行ったらなんとかしてくれるん? 別に、今更若い子にモテたいとかと違うで。俺らでも一応接客業やしな。あんまりブサイクな顔見せるのも失礼ちゃうかと思てな・・・^^;)。あ・・・医局の同門の奴らには言わんといてくれよ・・・な!」へぇ・・・彼がこの歳になって外見を気にするようになるとはねぇ。いやぁ・・・時代が変われば変わるもんです。 これからも変わり続けるクリニックを、皆様も応援してくださいね!