第109回  (2012年04月)  「すきま風 」

  

こんにちは。柴田美容皮膚科クリニックの柴田です。3月に入って漸く春めいた日も何日か続き、春のきざしを感じることができるようになりましたね。皆様はいかがお過ごしでしょうか? 今年は3月と言えば東北の震災から1年。各地で追悼のイベントが開催され、テレビのニュースも3月11日はその話題一色でしたね。被災された方々の話を聞いたり手記を読んだりすると、本当に生きてて良かったな・・・と思います。私にも一人だけ福島県で実際に被災された知り合いがいます。その人の名前は「がんちゃん」。ただ、実はがんちゃんと連絡を取ったのは久しぶりで、最近までがんちゃんが被災した事を知らずにいました。しかもこの震災から1年近くを経て、偶然にもその事実を知る事になったのです。

 


がんちゃんとの出会いは本当に偶然でした。(と言っても、実際にお会いした事は今まで一度もないのですが・・・。)出会いのきっかけを話せば長くなりますが・・・JR六甲道駅の近くに串カツ屋のTというお店があります。(また、例によって唐突に食べ物の話に変わってしまうのですが、お許しください・・・^^;)この串カツ屋さんはちょっと凄いんです。何が凄いかと言うと、残念ながらそれは説明できないんですが・・・。「はぁ? 何それ?」って思われるでしょうけど、本当に正直なところ「何が凄いか解らないけど、何かが凄いとしか言いようがない」・・・のです。関西には星の数ほど串カツ屋さんがありますが、私の人生の中で出会った美味しい串カツ屋さんのベスト3には間違いなく入ります。コストパフォーマンスを考慮するとおそらくナンバーワンだと思います。でも理由があって、実名を伏せなければなりません。そのお店は誰かが一緒に行かなければ絶対に分からないような分かりにくい場所にあります。(勿論、近所の人達の間では有名ですから、決して広いとは言えないお店は毎日沢山のお客さんで賑わっています。)庶民派串カツの代表のようなお店で、ソースは二度づけ禁止、前菜はキャベツ、料金はビールを入れて一人2000円で十分という、関西串カツの正統派です。

 

 

そして何が凄いって、一番はここのソースなんです。本当にこのソースは魔法のソースとしか言いようがない。一度食べると病みつきになります。パッと見はなんら普通と変わらないソースなんですが、どこでも味わった事がないような深みとコクがあります。決してスーパーなどで購入できるような代物ではないので、恐らくお店の主人のオリジナルブレンドだと思います。何度行ってもその味の秘密は分からないのですが、そのソースの味だけは忘れる事ができず、必ずまた行きたくなります。実は、何か麻薬成分が入っているのではないか・・・って疑っているのです。今度行った時は、こっそり注射器を持って行ってソースを吸って持って帰ろうという極秘計画をしているので、この極秘任務がバレないようにする為にも、このお店の実名は伏せなければなりません。(麻薬成分は冗談ですが、大きな注射器でこっそりソースを持ち帰ってやろう・・・という計画は本気なんです・・・(^^)。何回かここのご主人にソースの配合の秘密を聞き出そうとしたのですが、それとなくはぐらかされてしまいました。秘伝のソースなんだな・・・そうなったらこちらで秘密を突き止めなければ・・・。)

そして、このお店にはもう一つ凄いところがあります。それは・・・このお店には串カツだけでなくちょっとしたお刺身や冷奴などのアテがあるのですが、そのアテと一緒にご飯を食べると、もう串カツ屋である事を忘れてしまうような美味しさだというところなんです。これは大げさじゃないんですよ。その為自制心を持って望まないと、アテとご飯でお腹が一杯になってしまってその後の串カツが食べられなくなるので、いつもご飯をお代わりしたいのをグッと我慢するという必要があります。それくらい美味しいご飯を提供してくれるのです。

 
 

 

ある時、そのお店のトイレの壁に一枚のハガキが押しピンで止めてある事に気づきました。「いつも当店のお米をお買い上げ頂きありがとうございます」というお礼のハガキでした。「ははぁ・・・ん。さてはここのお米はここから仕入れているんだなぁ・・・。なるほど手がかりはこんな何気ないところにあるものなんだよワトソン君・・・。(ワトソン君の意味が分からない人は気にせず読み飛ばしてください。)」とその時、キラリと私の目が光ったのは言うまでもありません。早速そのハガキに書いてある名前とホームページのURL、そしてメールアドレスをメモしました。自宅に帰ると早速そのお米屋さんに、串カツTにハガキがあったのを見た事と、是非そこに出しているのと同じお米を購入したいというメールを書きました。
それが私と米屋Gのがんちゃんとの最初の出会いです。米屋と言っても がんちゃんは自営農家で、自分で作ったお米をネットを使って自分で販売するという、産地直送農家のご主人と言った方が適切ですね。その時に届いたお米はまさに串カツ屋Tで食べたものと同じでした。もうそのお米の美味しいのなんのって・・・第一次和食ブームの到来です。大昔のクリニック通信でも書いていますが、10年くらい前に和食ブーム到来のきっかけを作ったのが、このがんちゃんのお米だったのです。その頃は殆ど毎週がんちゃんとメールのやり取りをしていました。がんちゃんはとっても筆まめな人で、こちらがメールを出せば返事は必ずその日に来ました。お米はがんちゃんがそうした方がいいと言う通り、その都度精米したものを少しずつ送ってもらっていたので、かなり頻繁にやり取りが発生していました。がんちゃんのお米に対する拘りと情熱は尋常ではなく、美味しいお米を語ると話がつきません。私も当時はクリニックで起きたよもやま話なんかもよく書いたりして、「せっちゃんとがんちゃん」は瞬く間にメル友になってしまいました。ただその後、私がシャンパンブームの到来によりすっかり和食を食べなくなった事から、5年ほど前からがんちゃんのところからお米を買うことがなくなっていました。






ところが最近、この通信にも書きましたが、昔勤めていた病院の婦長さんが送ってくれた2011年のお米があまりにも素晴らしかったので、第二次和食ブームが到来しました。そしてその婦長さん米は早々に食べ尽くしてしまい、気づいた時はもうあと一回分位しか残ってないじゃないですか。そこであのがんちゃんを思い出した訳です。「あ・・・そうだ。がんちゃんに連絡してお米送ってもらおう!」早速、過去のメールを探したのですが、やはりITの時代ですね。検索すれば10年前のメールでもすぐに探し出してくれます。そのやり取りを読み返しながら、当時はあれだけ仲良しのメル友だったのに、私が一方的に浮気して離れてしまったみたいで、自分がなんだかとっても悪い女だったような気がして反省しました・・・(ま・・・バーチャルな世界の話ですけど・・・^^;)。



気を取り直してがんちゃんにメールする事に。ご無沙汰した近況報告と共に、また美味しいお米を分けてくださいね・・・と。しかし、数日たっても返事が来ません。がんちゃんは凄く筆まめな人だし、以前は必ずその日に返事をくれていました。「あ・・・私の浮気をそんなに怒っているのね・・・。やっぱり私って悪い女だったんだわ」(もう、バーチャルを通り越して妄想状態になっている。)一週間程度待ったのですが、返事が来ないのでがんちゃんのホームページを久しぶりに見てみると、何とも言えない違和感があります。一言では言えないのですが、なんかホームページが更新されてなくて「死んでいる」感じなんです。あ・・・そうだ、がんちゃんは毎日ブログ書いてたな・・・と思い出して、ホームページからのリンクをクリックすると、ブログの最終更新日が2011年3月10日になっています。「あ・・・あれ?もしかして・・・」とそれまで通販だったので気にした事がなかったがんちゃんの住所を見ると、福島県楢葉町。念の為に住所をGoogle Mapで見ると、なんと福島第一原発から10kmくらいのところじゃないですか!「えええ!! まさか・・・3月10日でホームページの更新が止まっているって、まさか・・・がんちゃん生きてるの??」メールに記載されている電話番号に電話しても「現在使われておりません」というメッセージだし、もうがんちゃんが無事にどこかで生きている事だけを祈りました。だってあんなに一生懸命、美味しいお米を作る事に情熱を燃やしていたいい人がいなくなるなんて、あまりにも世の中が不条理じゃないですか・・・。




それから3日後。なんとがんちゃんから返事が来ました!! 「せっちゃん! お久しぶりです!」から始まるがんちゃんのメールを見た時は、私も安堵で本当に涙が出て来ました。がんちゃんは家の目の前まで津波が押し寄せて来たけど、自宅はなんとか無事だったそうです。しかし、田んぼは全滅。しかも原発の影響で避難区域に指定されたので、住み慣れた土地を離れて埼玉県の親戚のところに家族で身を寄せていたそうです。最近になって近くの農業をやっている人の手伝いの仕事が見つかり、勤め人ではあるけどまたお米作りができるようになったそうな。また準備ができたら、福島に戻って自分の田んぼを一から整備して、自分の手でお米作りを再開したいと情熱のこもった長いメールを頂きました。被災してからはお店のメールアドレスは使っておらず、個人メールしか使っていなかったので、久しぶりにお店のメールをチェックしたら私のメールが見つかって、早速返事をくれたみたい・・・。嬉しい! あぁぁ・・・本当に生きてて良かった!!  このメールを読みながら、頭の中では杉良太郎の「すきま風」がずっと流れていました。「いいさ、それでも生きてさえいれば、いつか優しさに巡りあえる・・・♫」(う・・・ん。古すぎて今時の人に杉さんはわからんだろうが・・・あの「巡りあえる」・・・のところのコブシ回しで胸がキュンとくるのよ・・・まさにがんちゃんの為にある歌じゃないの・・・ってね・・・(^^))




今回は東北関東大震災の1周年なんで、クリニックには何の関係もない私の個人的なお話を長々と記載させてもらいました。がんちゃんの話を聞くと、私なんかの悩みは本当に小さいものなんだ・・・と改めて思います。私も小さいながら自分のクリニックを運営しているので、日々色々な問題や困難があって、それなりに四苦八苦してなんとか乗り越えてきていると思っていました。でもやっぱり東北で震災に遭った人達のお話を直に聞くと、私の苦労なんて何でもない事だし、平和に生きている事を感謝しないといけないな・・・って改めて思い知らされたのです。

数日前に、またがんちゃんからメールが来ました。政府は4月1日をメドに、「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」の他、帰還まで5年以上かかるとみられる「帰還困難区域」の三つに再編する方針なんだけど、がんちゃんのいた楢葉町は比較的放射線量が低く、「避難指示解除準備区域」になるだろうと言われていたので、せっせと故郷に戻ってお米作りを再開できるように準備をしていたそうです。これで漸く福島に戻ってお米作りが再開できる・・・とその夢を持ってここまで頑張ってきた彼です。ところが、数日前にニュースが出ました。 「楢葉町のJヴィレッジでプルトニウム241が検出された。人体に影響のないレベルだが、プルトニウム241は他の同位体に比べて半減期が14年と比較的短く、崩壊してできるアメリシウム241は土壌を経由して主に豆類に取り込まれやすい。放医研は「内部被爆を避けるためにも原発20キロ圏内での分布状況を確かめる必要がある」としている」

 

 

がんちゃんのメールにはこうありました。「せっちゃん、もう、だめかも。楢葉町へ戻って、野菜はもちろん、米作りをという夢は無理かもしれません。今後生活出来るかどうかも分からないし、そんな土地で皆様にお届けできる安全安心なお米が作れるとは思えません。いっそ新たな土地に移住するか・・・、でも、それだって簡単なことではありません。どうしたら良いかは、今はまだ分かりません。」 そんな事ないよ・・・。絶対。また、お米作れるようになるよ・・・絶対。どこかで、必ず・・・。私にはそう言う事しかできませんでした。そう書いてもやっぱりなぜか涙が出てきました・・・。でも情熱を持っていれば、絶対できますよね。皆さんもそう思いませんか? 

その後しばらく返事がなくて心配していましたが、1週間ほどして返信がありました。
「せっちゃん、メールありがとうございます。一年も経つのに、まったく良い話が無くて落ち込んでました。苦難を乗り越えてこそ、成功があるのですよね。 あぶない、あぶない、こんなことでへこたれてちゃいけません。せっちゃん、ありがとう。」
そうそう、へこたれないで、苦難を乗り越えて、また美味しいお米を作ってね。頑張れ! がんちゃん!